Prelude <一文字茜>
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『 年末の駅前はいつも人通りが多い。
俺は改札を気にしながら、あいつを待っている。
…人を待つのは嫌いだ。
そもそも、なんで俺があいつを待ってなくちゃならないんだ?
と思いながらも、こうして律儀に待っているのが俺の限界なんだろう。
いい人にもなれないが、悪くもなれない。
そして、その必要を感じない。
今のままの俺が、俺はそれなりに気に入っている。 』
1
「おはようございますッ」
「あッ…おはよ茜ちゃん。今日も元気だね」
「はいッ!」
「秋野さん。今日ボク指名入ってる?」
「入ってるよ。新顔のお客さんからね」
「ふーん。どんな人?」
「会えば分かるよ」
「そうだね。どんな人でもお客様なんだから…感謝感謝」
「それから、このお客さんからはもうお金貰ってるから。フルコースってことで」
「へぇ…じゃあ、がんばらなきゃ」
ボクは秋野さんから指定された場所の書かれたメモを受け取って、仕事道具が入ったバッグを持って事務所を出た。
さあッ! お仕事お仕事。
家はお父さんとお母さんが家にいないし、お兄ちゃんは働いてないから、ボクが生活費を稼がなきゃいけないんだ。
仕事と学校の両立は大変だけど、がんばらなきゃね。
え? ボクの『仕事』ってなんだって?
それは…
ボクは指定された部屋のドアをノックした。
「入りなさい」
内から聞こえたのは、嗄れたおじいさんらしき声。
「はい。失礼します」
室内は、ボクが始めて足を踏み入れる立派な様相だった。
…ハァー…スッゴイ。
ボクは、このホテルでの仕事は始めてなんだ。ここは結構名の知られた有名ホテル。宿泊料もびっくりするほど高い。
そしてこの部屋は、最上階のスイートルーム。綺麗な夜景がガラス越しに観えている。
「ご指名ありがとうございます。茜です」
丁寧にお辞儀をする。このお仕事の基本だ。
顔を上げ、ボクは今日のお客様の顔を確認した。
おじいさんだった。
たぶん、七十歳は超えていると思う。でも、やけにするどい眼光が印象的だ。
偉い人なのかもしれない。ま、そうじゃなきゃこんな部屋とれないだろうけど。
「あのボ…(違う違う)私でよろしいでしょうか?」
おじいさんは頷いた。いいらしい。
「では、失礼して着替えさせていただきます」
ボクはバスルームに入り(ホテルの部屋って、だいたい似た造りになってるから迷うことはないんだ)、仕事着に着替えた。
ボクの仕事…もう分かるよね?
そう。ボクは出張ヘルサー…ハッキリ言っちゃうと<売春婦>なんだ。
なんでこんな仕事してるかって?
そりゃお金かいいからだよ。え? 恥ずかしくはないよ。サービス業って大変なんだから。
って言ってる暇に着替え完了。
ほら。どう?
この、首輪とエッチな下着の上下だけがボクの仕事着なんだ。かわいい? でもボク胸が大きいから、これだと上は乳首と乳輪だけしか隠れないんだよね。
ま、どうせすぐ外すんだろうからいいんだけど。
さッ、お仕事お仕事。
2
「あの…着替え終わりました」
おじいさんはさっきから全く動く様子がない。ずっと椅子に腰掛けたままだ。
「それでは、どうのようなサービスをお望みでしょうか?」
ボクは、おじいさんの足下に跪いてお辞儀をした。
このおじいさんは、始めてのお客様だから、どんな好みなのか分からない。
ボクは『なんでもアリ』だから、お客様のニーズによってスタイルを変える。このお仕事してるとよく分かるんだけど、性癖って人それぞれで結構侮れない。
変わった人だと、ボクに指一本触れないで、時間一杯ボクにオナニーさせて、それを踞ってじっと眺めていた人もいたし、二時間もボクのオマンコを舐め続けていた人もいた。それ以外なにもしないんだ。変わってるよね
あと、少し驚いたのは、お尻の穴に入れたがる人が結構多いってこと。ボクは『なんでもアリ』だから、もちろんお尻もおっけーなんだけど、うーん、そうだな…三人に一人はお尻に入れるよ。馴れちゃえば結構気持ちいいよ、お尻って。お尻は特別料金だから高いんだけどなぁ。お金持ちっていいよね。ボクもがんばってお仕事しよ。
秋野さんの話だと、このお客様はフルコースの料金を既に払っているらしいから、ボクになにをしてもいいんだ。
フルコースは三時間だから、これから三時間ボクはこのおじいさんの『奴隷』なんだ。
「ウンチをしろ」って言われればしなきゃいけないし、「そのウンチを食べろ」って言われれば食べなきゃいけない。
ね? サービス業って大変でしょ?
でもそれだけのお金貰ってるんだし、我が儘は言えないよね。
「…ワシは…何歳にみえる」
は? なに言ってるんだろ? でも『ご主人様』の質問だ。答えなきゃ。
「…七十歳くらい…でございますか?」
ボクは正直に答えた。
「七十八だ」
見た目より歳なんだ。ボクは他人の年齢を当てるのは得意なんだけど、ちょっとズレたみたいだ。
でも…七十八歳か…大丈夫かな? ちゃんと『できる』のかな?
「フッ…心配はもっともじゃ。ワシのモノはもう役にはたたんよ」
うわッ…読まれてる…顔に出したつもりないんだけどなぁ。
「で…じゃ。君にはワシのモノを起たせて貰いたい。それが…依頼じゃ」
「…はい…分かりました。心を込めて、勤めを果たさせていただきます」
うーん…どうしよう?
ま、やるしかないよね。
まずボクは、『ご主人様』のモノを口で立起たせようとした。
勃起していない以上、オマンコとお尻には入らないし、残っている穴は口くらいだからね。
『ご主人様』のモノは、それでも結構大きかった。起ったらどのくらいになるんだろ?
始めは棒を付け根から先端に向かって丁寧に舐め、それと同時に袋を揉んでみたけど、『ご主人様』はなんの反応もしなかった。
それ以降も、ボクが持っている限りのフェラテクを駆使したけど、やっぱりダメだった。
二十分はそうしていただろうか、顎と舌が疲れてきた頃、
「もういい…今度は違う方法でしてくれ」
「…はい…もうしわけございません」
でも…違う方法かぁ…。
仕方がないので、ボクはこれまでのお客様が一番興奮したのを順番にやってみることにした。
じゃ、やってみるか…レパートリーのことを考えると、最初は浣腸だよね。ボクのウンチを食べたがったり、ボクに食べさせがったりするお客様もいるので、ボクは排便するのにも気を使っている。昨日からウンチはしていないから、お腹の中にはそれなりに詰まっていると思うんだけど…でも…スカトロが嫌いなお客様もいるからなぁ…。
「あの…『ご主人様』…排便関係(変な言い方だなぁ。でも、スカトロってはっきり言うのもなぁ)は、大丈夫でございますか?」
『ご主人様』は頷いた。
「では…用意いたしますので、少々おまちくださいませ」
ボクは事務所から持ってきた、商売七つ道具(七つ以上の道具が入ってるけど)鞄から浣腸用の注入機と浣腸液(これは特別製品で、原液はキツイから五十倍に薄めて使うんだ)を取り出し、バスルームから排便するのにちょうどいい、底の高い洗面器(…かな?)を持って『ご主人様』のもとへ戻った。
浣腸液も、五リットルは造ったし準備万端だね。
「どうぞ『ご主人様』。茜のお腹にお好きなだけ浣腸してくださいませ」
ボクは浣腸機を『ご主人様』に渡し、お尻を突き出した。下着はお尻の部分が割れているから着けたままだ。
『ご主人様』は一回に最大一リットル注入できる浣腸機で、三回ボクのお腹に液を入れた。二回は目一杯だったけど、三回目は半分くらいだった。
ボクはさっき見つけた洗面器(?)にまたがった。
「『ご主人様』…茜が汚いウンチを放り出すところを、どうぞご覧くださいませ」
この特別制の浣腸液は、通常の物より精度がいい。ボクはすぐに出したくなったけど、ここは我慢だ。
「ハァー…ハァー…」
脂汗が出てきた。視界が白く濁る。
グルギュルルルーッ
お腹が変な音を立て始める。
「アッアッアッ」
思わず声が漏れる…あぁ…キ・モ・チ・イ・イ…。
実はボク…浣腸って大好きなんだ。この、我慢している時がたまらなくイイ。
景色が白く霞んで…躰が空に浮いた様な感じか最高にイイ。
「ハッアァァーッ」
プッブリブリブリーッブッブリッビチャビチャピチャッ!
出…ちゃった…。
「…ご…ごしゅ…じん…さまぁ…ど、どう…でしたか? お楽しみ…いただけ…いただけ…ました…でしょう…か…?」
『ご主人様』は頷いてくれたけど、起ってはいなかった。
ボクは後始末をして、急いでシャワーを浴びた。汚れたまま、次の出し物に移るわけにはいかないから。
浣腸してお腹の中がキレイになったので(残りの浣腸液も使って、できるだけキレイにしたんだ。入れてはブリッ入れてはブリッってね)、特製の尻尾(以前お客様から貰った、アナルバイブに犬の尻尾に似せた毛が付いている物)を着けて四つん這いで歩いたり、極太バイブをお尻にねじ込んで出し入れし、腸壁が捲れたり巻き込まれたりする様子を見て貰ったりもした。
…でも…ダメだった。
3
ハァ…どうしよう…。
もう、あまり時間ないしなぁ…。
ボクがここに来てから、既に二時間以上が経過しているけど、『ご主人様』の依頼はまだ成し遂げていないんだ。
『ご主人様』…アナルよりオマンコの方がいいのかなぁ? でも…ボクはオマンコテクニックより、お尻を使ったテクニックの方が自信がある。バイブだって、アナルの方が大きいヤツが入るんだ。
これまで出し物を披露してきて分かったんだけど、『ご主人様』は見た目より優しい方だ。
怒ったりしないし、ボクの躰を傷つける様なことはしなくていいって言ってくれた。針を使ったり、火を使ったりはしなくていいって…。
ボク痛いのは嫌いだから、すっごく嬉しい。
偶にいるんだよ。クリトリスに針を刺したり、お尻を火であぶったりする人…信じられる? そんな人たちは、きっとボクのこと『人間』だって思ってないんだ。
そりゃお金は貰ってるけどさ…でもさぁ…やっぱりボクだって『人間』なんだよ。お金を出して欲望を吐き出す『便所』でも、感情がなく涙の出ない『人形』でもないんだ。
できることなら優しくしてほしいし、喜んでもらいたい。
お金を出してのことだけど、ボクに会えて良かったって言って貰いたい。
そしたら、ボクもすごく嬉しい。
ありがとうございますって、ボクを『買って』くれてありがとうございますって…そう思える。
また楽しい時間を一緒に過ごしたいって…そう…思えるのに…。
…そんなふうに思える人って…そうはいないよね…。
まったくいないってわけじゃないよ。でもね…やっぱり少ないんだ。
お前は俺の金で生活できているんだぞって、そんな態度なんだ。
…まぁ、その通りなんだけどね。
だからモンクは言えない。言われれば、おいしそうにウンチも食べる。ホントはすっごく不味いんだよ。当たり前だけど…。自分のなら最近は抵抗なくなってきたけど、お客さんのはまだイヤだな。こう言うと、ボクがスカトロ専門みたいにきこえるだろうけど、『なんでもアリ』って同業者少ないらしくて、そういうマニアックな人の指名は全てボクに廻ってくるんだ。その分、高いお金貰ってるんだけどね。
お金。お金。お金。お金ッ!
お金がないとなんにもできない。人生金が全てじゃないっていうけど、それは大部分がお金だってことだよね。
ボクみたいな小娘がお金を稼ごうと思うと、躰を売るのが一番効率いいんだ。だって、高いお金を出して買ってくれる『大人』がいるから。
需要と供給のバランス。
ボクのお仕事が、社会的に認められていないという前提になっていることは分かってる。でも、認めていないのが『大人』なら、ボクの様な存在を求めているのも『大人』だ。
矛盾していると思う? でもしてないんだな…。だって、ホントは『大人』なんて『人』はいないもん。
『普通の人』。『いい人』。『悪い人』。そんな『人』もいない。
世界中の『人』全て、『名前』を持つ『個人』なんだから。一緒に纏めて考えられないよ。
全部ちがう『人』。
だからボクは『ボク』。
ボクは『ボク』にできることをする。
ボクは、『ご主人様』にボクができる限りの痴態を披露した。
指をお尻の穴に入れ、肛門が裂けるくらいに広げたり、オマンコに突っ込んだバイブを手を使わずに放りだしたり、『ご主人様』の躰中を舐めたり、『ご主人様』に躰中を舐めていただいたり、零れるオマンコ汁をグラスに集めて飲んだり(オシッコも飲んだよ。ウンチは食べなくていいって『ご主人様』が言ったから食べなかった)、アナルビーズを入るだけねじ込んで、『ご主人様』に引っ張り出していただいたり、一生懸命ボクにできることをした。
でも…
ピピピピピー ピピピピピー ピピピピピピピピピピピピー
携帯電話の着信音。…時間だ。
お仕事終了。
「…時間…じゃね」
「…はい。もうしわけございません『ご主人様』」
結局…依頼は果たせなかった。
「ワシは、もう君の主人じゃない」
「でもッ」
「いいんじゃよ。君はよくやってくれた。満足している」
「……」
なんだろ? 泣きたくなった。
「ほら。身体を綺麗にしてお店に戻りなさい」
「ではご一緒にシャワーを…」
「ワシはいい」
「でも…」
「もう少し、ワシに着いた君の香りを楽しみたいんじゃ」
「…はい…では失礼いたします…」
ボクはシャワーを浴びて、ここに来た時の服装に着替えた。
洗面器に溜まった排泄物をトイレに流して、洗面器もキレイに洗った。このお仕事には、このお仕事のマナーがある。
汚したものは、きちんと片づけなければいけない。ボクは全ての道具を片づけ、最後に芳香消臭剤が詰まった小瓶の口を開けて置いた。
ボクの臭い(自分では香りといえないのが辛いね)を消すためだ。ボクがここにいた証拠を早く消すため…これも、マナーの一つ。
「今夜は茜をご指名いただき、ありがとうございました」
「あぁ…若いのに礼儀正しいんじゃな…孫よりも歳の離れた女の子を金で自由にするような、最低の爺にまで…」
「そ、そんな…『ご主人様』は…」
「だから、ワシはもう主人ではない。…その時間は終わったんじゃよ、茜くん」
「では…」
なんて呼べばいいんだろ? こんなこと言われたの始めてだ。それに『茜くん』だって…このおじいさん、ボクのこと一人の女の子として観てくれているんだ…。
なんだか…ううん…とっても嬉しい。
「…では…その、おじいさま…って…呼んではダメですか?」
「おじいさま? いや…構わんよ…嬉しいくらいじゃ」
「では、おじいさまは最低なんかじゃありません。そんなこと…言わないでください。
私は…おじいさまが好きです。おじいさまは優しい方です。
私、お客様から『茜くん』なんて呼んで貰えたのは始めてです。ううん、名前を呼んで貰えたのも…。
ですから、私はおじいさまが好きです」
「…そうか…うん、そうじゃな。茜くんが好きになった『おじいさま』を最低などといえば、茜くんを侮辱したことになるからの…うん、悪かったな茜くん」
「いいえ…私こそ、生意気なことを言ってすみません…」
ボクはお辞儀をして、
「では…失礼いたしました」
いつもの、仕事の終了を確認する言葉。後は部屋を出て事務所に戻って、お金を受け取るだけ…でも…ボクは…。
「あのッ、おじいさま」
「なんじゃね?」
「…また…私を指名してくださいませんか? 今度こそはおじいさまの…」
「いいや…もう茜くんと会うことはない」
「そ、そんな…」
「いいんじゃ…もう<答え>は出たんじゃ…」
「…答えですか?」
「うむ…<答え>じゃ」
なんの答えなのか、ボクにはきけなかった。なぜか、きいてはいけない気がした。
「行きなさい…茜くん」
<終わり>の言葉だ…。これ以上、ボクはここにいてはいけない。
ボクはもう一度お辞儀してから、振り返ってドアを開けた。
そして、扉をくぐり、ドアを閉めた。
ドアの閉まった音が、やけに大きい気がした。
4
「あッ。おつかれ茜ちゃん」
「おつかれさまです」
「はい、今回の手当。フルコースだから八万円ね」
ボクは剥き出しの現金を受け取って、枚数を数えた。きっちり八万円。でもこの内、生活費に当てることができるのは八千円だけだ。後はお兄ちゃんの『お小遣い』になる。ボクの稼ぎの九割がお兄ちゃんの『お小遣い』になるんだ…そう…決まっている。悔しいけど…逆らうと殴られる。殴られるとお仕事ができない…痣がある女なんて、誰も『買って』くれない。
ヤメヤメッ! 考えるのはヤメッ!
ボクは、元気が取り柄なんだから。
「じゃ茜ちゃん。今日はもうあがっていいよ。明日も学校だろ? 帰って早く寝なよ」
「はいッ! じゃ、おつかれさまでしたッ」
「はい。おつかれさま」
トボトボと家路に向かう中、ボクは考えていた。
ボクはおじいさまに対して、おじいさまが払ったお金分のサービスができたのかな? フルコースだから、おじいさまがお店に払ったのは十五万円だ。けして安い金額じゃない。
ボクが受け取ったのは八万円、残りの七万円はお店の取り分になる。結構取られる様だけど、ボクたちが安全にお仕事をしていくためには、これは仕方ないと思う。お店に所属していないと、トラブルに巻き込まれた時フォローしてくれる人がいないし、勝手にこのお仕事をしていると、今はボクをフォローしてくれる様な、『職業として怖い人をしている人』になにをされるか分からない。
「茜さん…ですね?」
不意に名を呼ばれ、ボクはビクッとした。周りに人はいるけど今は真夜中だ、どんな人が徘徊しているか分からない。用心に越したことはない。
「…そう…ですけど…?」
「私は怪しい者ではありません。…と言っても、自分は怪しい者ですと名乗る変質者はいませんけれどね」
その人は、まだ若い男の人で、夜なのにサングラスをかけていた。…怪しい…。
「旦那様に…いえ、『おじいさま』と言えば分かってくれると申されてましたが…その『おじいさま』に仕える者です」
「…おじいさまの?」
「はい。『おじいさま』から、これを茜さんに手渡す様にと」
男が「おい」と声をかけると、もう一人若い男の人が現れた。この人は、サングラスをかけていない。
サングラスの男はもう一人が抱えていた花束を受け取ると、
「どうそ。お受け取りください」
と言って、ボクにその花束を差し出した。
「これ…おじいさまから?」
「はい。ぜひ茜さんにと」
ボクはその花束を受け取った。とても大きな花束…高いんだろうなぁ…ボクは花の値段なんて知らないけど、少なくとも一万円や二万円じゃこれだけの花束は買えないだろう。
「…いいんですか? こんな立派な花束貰っちゃって…」
「もちろんです。これは茜さんのために用意された物ですから、茜さんが受け取ってくださらないと、無駄になってしまうのです。
…それに、私も『おじいさま』からお叱りを受けます。私も叱られたくないので、ぜひとも受け取ってもらいたいですね」
男の言葉に、ボクは苦笑した。なんだか面白い人だ。
「はい。では遠慮なくいただきます。ワァ…ボク花束なんて貰うの始めて…嬉しいッ」
「ボク?」
「あッ…その…普段学校では、自分のことはボクっていうんです。変ですか?」
「いいえ。変ではありませんよ。ただ、少し珍しいのは確かですね」
「そうですか…」
「では確かにお渡しいたしましたので、私はこれで失礼します」
「はい。どうもありがとうございました」
「いいえ、仕事ですから」
男はそう言い残すと、少し離れた場所に停めてあった車に乗り込んで、街の闇に消えた。
ボクは受け取った花束に顔を近づけ香りを嗅いだ。
いい香りだった。
花って、こんないい匂いがするんだ…。
と、ボクはその花束に手紙が添えられているのに気づいた。
手にとって開いてみると、
『 茜くんへ
今夜は楽しかった。
ありがとう。
『おじいさま』より』
と記されていた。
ボクは一度花束を抱きしめてから、再び歩きだした。
家へ向かう歩調が、少し速くなっていた。
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