第十六章 「保乃華と剣子の場合? (前編)」

 

 愛すること、愛されることは、辛いことではないはずだ。もしそうであるのなら、誰も愛すること、愛されることを望まないだろう。

「人は幸せとなるために産まれ、生きている」

 かつて、脳天気な誰かが記した「真実」。あまりに傲慢で、一方的な決めつけ。人が、人の生の意味を定義するなどとは。

 だが、「それ」を否定してしまうのは、あまりに「悲しい」ことではないだろうか。確かに人は、誰もが幸福となれるわけではない。

 脳天気な誰かは、

「幸せでない人は、産まれ、生きている意味がない」

 といったわけではない。「幸せになろうとすることにこそ、産まれ、生きているというこの意味がある。もしくはその真実が隠されている」…といったはずなのだから。

「幸せになりたい。そのための努力はする」

 そう考えている人の心を否定するなど、やはり同じ人にはできないし、してはいけないことなのだろう。

「幸せになりたい。でも、努力はしたくない」

 それは個人各々の価値観によって否定されることもあるだろうし、否定される可能性を秘めているともいえる。

 ここに二人の少女がいる。その名を森霧保乃華(もりぎり ほのか)、成城剣子(せいじょう つるぎこ)という。

 年齢は共に同じ十一歳。桃の丘女学園という名門女子校の初等部六年に在籍し、保乃華は生徒会会長、剣子は副会長を務めている。

 保乃華はその名から想像しがたい、軽く波打つ黄金に近い亜麻色の髪と南国の海ようなマリンブルーの瞳を持つ少女で、剣子は女の子にしてはベリーショートともいえる短い髪と、どこか鋭角的な猫類を連想させるシルエットを持った少女だ。

 この二人の間には、他人には理解できないかもしれない絆がある。

「剣子」

「保乃華さま」

 と、二人きりのときには呼び合うのもそうだし、一年以上も前から肉体関係を結び、繰り返しているということもそうだろう。

 他人には理解できない関係。だが二人は、他人に理解されたいとは望んでない。二人には二人だけの「世界」があり、そこでだけ通用する「価値観」がある。

 そして二人は、その「価値観」を共有して(もしくは、しているふりをして)いる。

     ☆

(なにかしら? この感覚は…)

 焦り。不安。そういった感覚が、保乃華の心を暗く浸食する。

 日曜の昼下がり、薄いカーテン越しに室内を照らす陽光は明るく、そしてなにより、誰よりも愛おしい剣子とキスを交わしているというのに…。

 裸で抱き合う、剣子の肌の温もりとそのやわらかさ。繋がった唇と絡み合う舌。焦る場面でもない、不安に感じることなどなにもない。

 なのに…。

 保乃華は剣子の腰にまわした腕に力を込め、二人の混じり合った唾液で濡れる剣子の唇を強く吸った。

「ゥグ…」

 声を漏らしたのは剣子だろうか、それとも自分だろうか。閉じていた瞼を開くと、眉間にしわを寄せ、固く瞼を閉じた剣子の顔があった。

 保乃華は剣子の唇から自らのそれを離すと、剣子をベッドに寝かせつけるようにして押し倒す。

「保乃華…さ、さまぁ」

 甘えた声で鳴く剣子。

 保乃華は身体を移動させ、剣子の股間に顔を埋めて美味しい蜜が溢れるスリットに吸いつく。

「んはぁっ!」

 ワレメに添って舌を這わせると、剣子が甘い声で鳴いた。いつもと同じ、剣子が感じやすいのも、剣子の甘い声がたまらなく心地よい響きなのも。

 だが、奇妙な感覚はなくなってはくれない。

 口腔内に溢れてくる剣子の愛液を、保乃華は一滴も零さずに口に入れる。

 甘い、美味しい…。

 零したりしたらもったいない。剣子の蜜は、全部わたくしが飲んであげる。わたくしに、飲ませて欲しい。

 剣子は愛液の量が多い。保乃華はそれが嬉しい。愛液の量が、剣子が自分に向けてくれる想いの強さと、比例しているように感じるから。

(大好き、愛していますわ…剣子)

 甘い声と、甘い蜜。甘い、甘い…剣子。

 大きく開かれた剣子の両脚。敏感な突起を重ねるように、部分を密着させる。滑りを纏い、擦れ合う互いのクリトリス。

 保乃華は思う。

 いつまでも、この幸福が続けばいいのに。終わりなく、永遠に続けばいいのに…と。

 肌を重ねる。想いを感じる。貪欲に剣子だけを求め、限りない「なにか」を、剣子だけに与える。

 それだけで、いいのに。難しいことや煩わしいことなんていらない。

(好き、大好き! 剣子、剣子、剣子!)

 休むことなく続く交わり。汗や愛液の匂いが室内に充満し、生々しく漂っている。

 手に馴染んだ剣子の肌の質感。剣子の身体に、保乃華の手が、指が、舌が触れていない場所などない。

 剣子の身体のことなら、保乃華は誰よりも知っている。剣子自身よりも、よく知っているかもしれない。

 どこに黒子があり、どこに触れるとどういう声をだすのか。保乃華は、全て把握している。

 なのに…。

 今日はなぜか、剣子が遠く感じる。

 「なにか」が欠けている。

(でも…「それ」はなに?)

 わからない。

 貪欲に剣子を貪る保乃華。

「ほの…か、さ…ぅあわっ! ハッ、アッ、ぅはアあぁンッ!」

 足りない…まだ、もっと、もっと剣子が欲しい! 味わいたいッ。

 何度もなんども、剣子が果てる。剣子だけが果てる。

 一時間。二時間…すでに剣子は疲れ切っている。それは、見ればわかる。だが保乃華の欲望は、底が抜けてしまったかのように剣子を求めている。

 グッショリと、シーツまでを濡らす剣子の蜜。

 しかし、保乃華の蜜は含まれていない。

 保乃華は、濡れていない。

 気持ちいいのに、美味しいのに、満たされない。

 突然、不感症にでもなってしまったかのようだ。

 保乃華はグッタリと脱力した剣子を、休むことなく一方的に貪り続けた。

 

 剣子が帰るのを見送り自室に戻ると、保乃華は突然の目眩に襲われた。急速に平衡感覚が奪われ、とても立っていることができない。

 目の前が漆黒に染まり、次の瞬間には、自分が立っているのか座っているのかわからなくない状態になり、それどころか、今、自分がどこでなにをいているかという基本的なことすら、わからなくなっていた。

 保乃華が感じている(いられる?)のは、自分がドロドロとした黒い海を沈んでいるかような感覚。その黒い海を、どこまでも落ちていくかのような。

(つるぎ…こ)

 黒い海に身体が溶けていく。海と自分の境界が曖昧になり、保乃華は恐怖に支配された。

(このままだと、剣子に逢えなくなるっ!)

 なぜかはわからないが、強くそう思った。

 思った、瞬間。

 保乃華の視界に、海の黒よりも深い、闇が現れた。その闇は、卵のような形をしていた。

(な、なにっ! こ…こわいッ)

 闇の卵は、保乃華に恐怖と絶望を送り込んでくる。

 ピキッ

 卵の表面に、血色のひびが走る。「なにか」が、生まれようとしているようだ。

 と、突然。卵の殻が割れながら砂のようになって崩れた。卵から孵ったのは、まばゆく輝く白い光珠。

(…っ!)

 光珠の中には、剣子がいた。

 凛々しい表情で、漆黒の瞳を真っ直ぐに天へと向けている。

 天使。黒い翼の…天使

(あぁ…剣子、剣子…さん)

 触れたい、「剣子」に。いや、「剣子さん」に。

 だが保乃華には伸ばすべき腕がなく、醜い自分には「剣子さん」に触れていい資格があるとも思えなかった。

 やがて「剣子さん」は、光珠とともに天空へと舞い昇り、保乃華は黒い海へと完全に溶けていった。

     ☆

(今日の保乃華さま、なにかおかしかった)

 思い詰めたような表情。顔色もよくなかったように思える。

(疲れていらっしゃったのかもしれない)

 剣子が保乃華の家を後にして、家路を歩いていると、

「よう! ギコ」

 不意に、後ろから背中を蹴られた。つんのめる剣子。

 他人に後ろから蹴りを入れるような人物で、剣子のことを「ギコ」と呼ぶ人物。そのような輩は、剣子のしる限り一人しかいない。

「あっ、新さん」

 体勢を立て直し振り向くと、予想した人物が不敵な顔で直立していた。

 絢目新(あやめ あらた)。剣子にとってある種恩人のような少女であり、同時に脅威的な存在でもある。年齢は十八歳。しかし、きつすぎる目つきのためか、隙のない雰囲気のためか、実年齢より二、三歳は年上にみえる。

 そういえば、この二週間ほど新をみかけなかった。修行にでもいっていたのだろうか。

「お久しぶりです。新さん」

「ん? そっか?」

「修行にいっていたんですか?」

「ま、そんなもんかな。トーキョーにいってたんだ。面白いヤツらに会えたぜ。強いヤツらだ。オレより強いヤツもいたな。手合わせはしなかったけど、みてるだけでゾクゾクした。面白かった」

 新さんより強い…?

 新は、剣の達人といっていい。剣子には新より強い人間が、新の祖父であり剣子の剣術の師である、絢目連基(あやめ れんき)しか思い浮かばない。

 それでも、新と連基の腕前は拮抗していると思う。二人とも、剣子にとって雲の上の存在だ。強さが計り知れない。

「新さんよりも、強い人ですか?」

 新をよくしる剣子には、簡単に信じられない。本当に、そんな人間がいるのだろうか。

「あぁ、強いぜ。たぶん、十人、二十人は殺ってるな、アレは。目つきが普通じゃない。極悪だ。背中にユーレー背負ってたしな」

 幽霊? なんの話だ? それに剣子は、新よりも目つきの悪い人物を想像することができなかった。

「で、ギコ」

「はい?」

「お前、憑かれてるぜ」

「疲れて…?」

 確かに、つい先ほどまで保乃華と交わっていたのだから、疲れてはいるだろう。

「あぁ。金髪の、なんか人形みたいなヤツだ。死にそうなツラしてる。生き霊だな」

「…えっ!?」

 疲れてじゃなくて、憑かれて?

「あっ…消えた。自分の身体に戻ったみたいだな。知り合いか? 金髪人形」

 まさか…保乃華さま!?

 新は保乃華のことはしらないはずだ。金髪で人形のような容姿といえば、真っ先に思い浮かぶのは保乃華だ。保乃華しかいない。

 生き霊…? 保乃華さまの?

 それに、死にそうな顔…って?

「ま、気にすんな。お前を取り殺そうってのじゃないみたいだ。どっちかというと、守りたいとか、お前の側にいたい…とか、そんな感じだ」

 いって新は、剣子の額にデコピンをすると、高笑いしながら去っていった。

 剣子は額の痛みも去っていく新も気にならず、なにかドロドロとした不安を感じながら、その場に立ちつくしていた。

(保乃華…さま)

 いいしれない不安。そして恐怖。剣子は、勝手に震えだした肩を、自らの両腕できつく抱きしめた。

     ☆

 いったい、どうしたというのだろう。このところ身体が怠くてしかたがない。

 保乃華はここ最近、原因不明の体調不良に思い悩んでいた。

 あの日からだ。先週、剣子と交わった日から、保乃華の体調はすぐれない。

 低血圧でもないはずなのに、朝、起きるのが辛い。そのくせ、夜、ベッドに入っても寝つけない。

 食欲もなく、この五日で三キロも痩せてしまった。

 保乃華はけして太っているとはいえない。どちらかといえば、痩せているといっていいだろう。ダイエットなどする必要はなく、体重が落ちてもいいことなどない。

「少し、おやせになられましたね、保乃華さま」

 先日、剣子からかけられた言葉。

 剣子の口調から、彼女が自分のことを心配しているのが、わかり過ぎるくらいにわかった。

「そ、そうかしら?」

 剣子には心配をかけたくない。保乃華はとぼけていった。

 剣子が、自分のことを女神かなにかのように、崇拝を宿した目でみていることを、保乃華は理解している。だから彼女は、「剣子が望むのでしたら、わたくしは剣子だけの女神になろう」…と、心に誓った。

 とはいえ保乃華も、未だ11歳の少女でしかない。自らが誓ったこととはいえ、それほど「強く」はなれない。

 保乃華自身、自分が剣子に崇拝を求めているのではないことに気がついている。保乃華が剣子に求めているのは、崇拝ではなく愛。

 一人の人間として、剣子に愛されたい。剣子を愛したい。

 でも、どうればいいというの…?

 剣子が、なぜ自分などを崇拝の目でみているのかわからない。「保乃華さま」…と、自分を呼ぶ剣子。

 許したのは自分だ。

 剣子に近づきたかったから、剣子の側にいたかったから。

 剣子と、「特別」な関係になりたかったから…。

 どこか違う場所へ、こことは違う、もっとすばらしいところへ…剣子と一緒に旅立ちたい。

 剣子とならいける。剣子がいれば、自分は変われる。自分は昇れる。

 そう…思っていたのに。

 だが、実際は違った。

 自分が、高い次元にいた剣子を引きずり降ろしてしまった。

 欲望で。身体を貪るという、もっとも嫌悪すべき方法で。

 いまさら、どうすればいいというの?

 自分は剣子を汚してしまった。「黒い翼の天使」を、下界に堕としてしまった。

 なんと罪深いことだろう!

 自分は汚れている。遺伝子異常者という汚れではない。自分自身の浅ましい心が、どす黒く汚れているのだ。

 汚れているのは自分自身。森霧保乃華という個人が、汚れている。誰の責任でもなく、自分自身の責任によって。

 このような汚れたわたくしが、どうして剣子さんを愛していいというの? 剣子さんに、一人の人間として愛されたいと願っていいというの?

 剣子の女神として存在しようとすればするほど、「剣子さん」への想いが深まっていく。「保乃華さま」ではなく、「保乃華さん」…いや、「保乃華」と呼ばれたい。

 剣子と、対等の人間になりたい。

 同じ目線で、同じモノがみたい。

 だがそれは剣子を引きずり堕とすのではなく、剣子がいた場所へと自分が昇ってだった。

 だから、もう遅い。

 無理だ。

 すでに剣子の「黒い翼」は霞んでいる。保乃華が霞ませてしまった。

 もしかしたら、罰なのかもしれない。

 ここ最近の不調は、神さまが、わたくしに罰をお与えになられたからなのかもしれない。

 神さまの眷族であった剣子を、わたくしが堕としてしまったから。

 

 わたくしは、死ぬのかもしれない。

 

 罰によって、犯した罪を贖うために。

 それだけの罪を犯した。わたくしの罪は、死にあたいする。

 わたくしがいなくなれば、「剣子」は「剣子さん」に戻ることができるのかしら?

 だったら、それもいい。

 死も、悪くない。

 剣子さん。ごめんなさい。

 わたくしは、あなたの女神にはなれそうにありません。

 でも、最後まで。わたくしの命が尽きるまでは、あなたの女神であり続けます。あり続ける努力をします。

 保乃華は誓った。「神さま」ではく「剣子さん」に。

 と、

 

 ズグッ!

 

 胸の奥に走る鈍痛。

「ゲホッ! ゲゴケホゲホッ」

 両手を口元にあて、苦しげに咽せる保乃華。胸の奥から溢れ咽を逆流した「汚れ」が、赤黒い液体となって保乃華の口元と両手をその色に染めて、ボタボタと滴り落ちる。

 赤黒く染まった手の平を眺め、保乃華は安心したように微笑んだ。

「神さま。罪を贖うことをお許しいただき、ありがとうございます」

 あと、少しだ。自分が女神を演じればいい時間は、あと僅かだ。

 ありがとうございます。神さま。

 ありがとうございます。剣子さん。

 そして…ごめんなさい。剣子。

 微笑む保乃華の蒼い瞳から、一筋の涙が零れた。

 

 

To be continued.  第十七章 「保乃華と剣子の場合?(後編)」



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