幕間三 「舞那さりあ(まいな さりあ)・初等部五年生の場合?」

 

 私室の窓を開け、空に浮かぶ白月を見上げながら、舞那さりあは一つ溜息を吐いた。

「…せんせぇ」

 月と重なるように脳裏に浮かぶのは、恋いこがれる担任教師の頬笑み。

 さりあは今日の放課後、その教師に告白した。

「好きです。せんせぇが大好きです」

 二人きりの教室。初夏の日差しはまだ高く、白い陽光が室内に射し込んでいた。

 破裂しそうな身体と心。待ち望んだのは許容の言葉。そして頬笑み。

 みんなに見せる頬笑みではなく、さりあだけに向けられる頬笑み。

 十一歳のさりあにとって、これが初めての恋であり告白だった。

 大人のせんせぇ。子供のわたし。つり合わない? ううん…そんなことないわ。ないと思いたい…。

 わたし…努力する。せんせぇとつり合うように努力する。がんばって、せんせぇ好みの女になる。

 だから…。

「舞那さん。あなたの『好き』に応えのは、先生にとってはとても難しいことなの。少し考えさせてくれるかしら? 明日…そうね、明日の放課後には答えられると思うから、一日だけまってくれる? 先生、本当にちゃんと考えて、舞那さんの「想い」に答えるから。それでいいかしら?」

 担任教師の言葉に、さりあは無言で肯いた。

 告白の答えは、明日の放課後まで持ち越された。

 ギュッと締め付けられているさりあの心臓が強張りを解くまでには、後十八時間ほどの時を必要としている。

 その瞬間。さりあはなにを得るのだろうか? それとも、なにかを失うのだろうか?

「せんせぇ…可奈子せんせぇ」

 さりあは恋する人の名を呟き、もう一度溜息を吐いた。

 

 テストの採点をしなくてはならないのに、とてもではないがやる気がしない。

「好きです。せんせぇが大好きです」

 数時間前に告げられた言葉だけが、真藤可奈子(しんどう かなこ)を支配していた。

 舞那さりあ。

 自分が受け持つ五年二組の生徒であり、いけないと思いながらも心を向けずにはいられなかった存在。

 女でありながら少女に引きつけられてしまう自分を、可奈子は疎ましいと感じながらも否定しきれないでいる。

 そして担任として受け持つようになってから、可奈子はさりあに特別な感情をもってしまっていた。

 自分の欲望のために彼女を汚してはいけないと思いながらも、さりあと身体を重ねることを妄想しては自慰に耽ったりもしている。

 可奈子はそんな自分を、ダメな大人だと思っていた。

 二十七歳にもなるのに男も知らず、女同士でしか性交渉をもったことがない。それでさえも、ここ数年はしていない。

 正常なセックスができない。同姓にしか…それも少女にしか、興味を、性的興奮を覚えない。覚えることができない。

 ホモセクシャリスト(異性愛者ではないという意味での)であり、ロリータコンプレックスでもある。だからこそ、優しい「先生」という仮面の奥に、「本当」の自分を隠すことを心に誓った「女」。

 それが、真藤可奈子だ。

 しかし今、可奈子の誓いはさりあの言葉によって引き裂かれそうになっていた。

 舞那さんが私を…? 信じられない。

 でも、信じたい。

 欲しい。

 彼女が欲しい。

 そして…抱きたい。

「せんせぇ」

 そう可奈子を呼ぶ甘い声。腰にまで達しそうな、少し色素の薄いロングヘアー。黒目がちの大きな瞳。桜色の唇。クラスでも一番小さい、たぶん胸の膨らみはほとんどないであろう、小さく薄い身体。

 可奈子は、そんなさりあの全てが欲しいと感じた。誰にも渡したくないと思った。

 なら告げる答えは決まっている。

 可奈子はさりあの前では仮面を外すことを、誓いを破ることを決めた。いや…決めてしまった。

 堕ちるなら、どこまでも堕ちてしまいたい。さりあには、それだけの価値がある。

 仮面は外れ、扉は開いた。

 

「…先生は…ううん。私は、舞那さんが好きです。たぶんその好きは、舞那と同じ『好き』です。愛してる…と、いい換えてもいいと思うわ」

 昨日と同じ、二人きりの放課後の教室。さりあに告げられたのは、彼女が望んだ通りのものだった。

「ほ、本当ですかッ? せんせぇ」

「えぇ、本当よ。私は、舞那さんを愛しています」

「そ、それは…恋人になってくれるってこと…ですか?」

「そうよ。でもこれは、誰にも知られちゃダメなの。知られちゃ私、舞那さんの側にいられなくなるわ。そんなのイヤなの。だから、これは二人だけの秘密よ。絶対、誰にもいっちゃダメよ?」

「は、はい…はいっ。わたし誰にもいいませんっ。絶対いいませんっ」

 身体と心がふわふわして、どこかに飛んでいってしまいそうだ。さりあは舞い上がる気持ちを抑え、潤んだ瞳で可奈子を見つめた。

「じゃあ…約束のキスしましょ?」

「は…はいっ」

 可奈子の顔が近づいてくる。さりあは瞳を閉じた。

 そして…

 唇に重ねられる柔らかな唇の感触を受け入れ、涙を零した。

「どうしたの…? イヤだった?」

 さりあは首を横に振り、

「イヤだなんて、そんなことないです。嬉しくて…わたし、嬉しくて…せ、せんせぇ」

「先生なんて呼ばないで。二人きりのときは、可奈子って呼んで? 恋人…でしょ?」

「…はい。可奈子…さん」

「可奈子でいいわよ。さりあ」

 名を呼び捨てにされ、さりあはまた泣きそうになった。嬉しくて。

「はい…可奈子」

 目の前で嬉しそうに頬笑む可奈子。自分だけに向けられる、恋人からの頬笑み。

 すごい。信じられない。せんせぇ…違うわ、可奈子がわたしに…わたしだけに頬笑んでくれている。

 この幸せは、絶対手放したくない。

 わたし誰にもいわない。絶対いわない。だから…

「可奈子…もう一回キスして。優しく…キスして」

 重ねられた唇に、さりあは自分のそれを押しつけた。

「可奈子…愛してるわ」

 そう「想い」を込めて。



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