es 0 平行して走るベクトルのように。けして交わらないスカラのように。 それは壊されることが決定した“es”に取り残されている。 いずれ、世界が定義されることを願いながら。 1 自己の定義。 そんなものに意味はない。 彼女はカップからバニラアイスをスプーンにすくい、口元へと運びながら思う。 舌に拡がるバニラアイスの味。 しかそれは、今だけのこと。 いずれは溶けてなくなり、記憶となるだけ。そして彼女の消失と共にその記憶も消え去り、完全になくなってしまうのだ。 意味なんて、ない。 どんな記憶も、どんな幸福も苦しみも、最終的には全てなくなる。 だから彼女の存在にも、この世界の存在にも、意味なんて一欠片もない。 だけど……。 彼女は、アイスの味を好ましく思っている。 2 ビルとビルの隙間。 みしらぬオヤジが座り込んでいた。 彼は“それ”から視線を外し、ゴミひとつない歩道に視線を落とす。 なんだか、コメカミがチクリと痛んだ。 「もう……どうでもいいの」 疲れた顔でそういい、翌日、マンションの屋上から飛び降り自殺した姉が、子供のころ好きだといっていた歌のメロディが聴こえた気がした。 肌寒い風。 もう、春なのに。 3 少女は学校が終わると、彼の部屋に向かう。 十歳年上の彼は、とてもやさしい。 少女は未だ“少女”でしかなく、やはり“無力”だ。 そのうえ溶けたアイスクリームのように“無意味”で、ただ、“甘い”だけ。 かわいそうに。 4 闇の中で生きることには馴れた。 思い出は辛い。 光に包まれているから。 妖精は思う。 世界のすべてが、血の色で染まればいいのに。 妖精は願う。 だれか、あたしを殺しにきて。 妖精は動く。 闇の中で。 世界を、血の色で染めるために。 妖精は嘆く。 なぜ自分だけが、血の色で染まっているのだと。 5 ふわりと浮いた感じだ。 あやふやだ。 なにもかもが。 でもそれは、たぶん、自分だけだ。 檻の中から、すべてを感じているからだろうか。 ……いや、違う。 違う。 借りモノの自己だからだ。 自分ではないからだ。 そう……。 これは自分ではない。 だが、カナシイとは思わない。 しかしカナシイと思わないことを、“それ”は、カナシイと思った。 6 ため息は嫌いだ。 否定だから。 なにも生み出さないから。 壊すことはしても、生むことはできない。 まるで、“私”のようだ。 “私”はこれからも、ずっと、ため息ばかりついて進むのだろうか。 十三羽の、白いカラスの仲間として。 7 変な夢をみた。 長い、長い夢。 何年も続く夢。 夢から醒めてからも、何日かは現実の自分と夢の中の“自分”の区別がつかなかった。 どうして俺は、“こんなところ”にいるんだろう? 何度も、そう思った。 夢の中の“俺”は、幸せだった。 子供がいたんだ。“娘”。名前は“あやか”。 もちろん“嫁サン”もいた。でも“嫁サン”より、“娘”のことの方をハッキリと覚えている。 初めて歩いた日のこと。初めて「ぱぱ」と呼んでくれた日のこと。 でも……“あやか”が小学校にあがる直前だった。 俺は、唐突に夢から醒めてしまった。 そして、現実の世界での生活が“繰り返され”ている。 戻りたい。“あそこ”へ。 幸せな夢の中へ。 “娘”の……“あやか”の傍へ。 涙がでる。 夢だったのに。 夢だって、わかってるのに。 あぁ……会いたいよ、“あやか”……。 もう一度でいい、“あやか”に「ぱぱ」と呼んでもらいたい。“あやか”を抱きしめたい。 ……“あやか”。 泣いていないだろうか。 突然“ぱぱ”がいなくなって、“あやか”は寂しがりやだから、泣いてるかもしれない。 いや……きっと“俺”を探して泣いている。 だからか……。 戻りたい。 あの夢の中へ。 “あやか”を泣かせたくない。 俺は、“あやか”の“ぱぱ”なんだから。 愛してるよ、“あやか”。 “ぱぱ”は“ここ”にいても、ずっと“おまえ”を愛してるよ。 “おまえ”は“ぱぱ”にとって、掛替えのない“娘”なんだよ。 ……俺は、狂っているのか? 8 運命的な出会いって、どんな感じがするんだろう? ピーン! ってくるのかな? ピーン! って。 ビビビッ! ってことはないわよね。 うん、それは変だ。 ま、どーでもいいや。 あたしにはかんけーないだろうしね、そんなこと。 あたしは、水之介(雑種犬)が道路の端にモリモリ盛ったウンチっちをビニール袋に入れると、尻尾をバタバタ振ってあたしに愛想を振り撒いている水之介の頭をなでてあげた。 水之介は、なぜかイヤそうな顔をして、「きゃうっ!」……って、大型犬のくせに小型犬のような鳴き声をあげた。 ちょっちムカついた。 ……ので、ウンチっちが入ったビニール袋で、頭を叩いてやった。 「さ、帰るよ、水之介」 帰るという言葉に反応したのか、ヤローはまたもイヤそうな顔をした。 ママが甘やかすから、コイツはわがままだ。 座り込む水之介。リードを引っ張るあたし。 その隣を、自転車に乗ったカッコイイ男の子が通りすぎていったけど、ピーン! ってのはなかった。 ……ま、こんなもんさ。人生なんて。 9 天に続く階段の上から、“あれ”が“ぼくたち”を見ている。 なんて傲慢な“意識”なんだろう。 でも“あれ”は“そういうモノ”だから仕方ない。 “あれ”はわかってないのさ。 なにもね。 だから“あれ”なんだ。 きっとそうさ。 “あれ”は、“あのように”はなれない。 そう考えると、かわいそうなヤツなのかもしれない。 でも、“ぼくたち”が“あれ”に同情してやる必要はない。 だって“あれ”は、“それ”を望んでいるのかもしれないから。 だから“そう”してやることはない。 “ぼくたち”は、“あれ”の望みなんてしったことじゃないもんね。 脚を上げてやった。 “あれ”はマバタキをして、短い舌を出した。 すると黒い雲が現れて、“ぼくたち”と“あれ”を切り離した。 やがて太陽が海から産まれて、天に“燃える時間”がきたことを“ぼくたち”にしらせた。 “ぼくたち”にも、“帰る時間”がきたみたいだ。 “となりの子”が、“ぼく”の手をとってわらった。 帰ろう。 “ぼくたち”の“家”に。 また“明日”。 月が太陽を凍らせたら、“この場所”で“あれ”をからかってやろう。 “ぼく”がそう思うと、“となり子”が首をよこにふった。 そして燃えはじめた天を見上げて、 「さようなら」 といった。 |