廃夢 0 笑わせておけばいい。 それで、あなたが“なにか”を奪われるわけでもない。 あなたは、あなただ。 それでいいじゃないか。 そうさ、あなたは“ここ”にいて、そして確実にあなたのままだ。 ねえ……どうして、泣きやんでくれないの? 1 始めよう。 また、“いつも”のように。 最初からでいい。 また、最後までいこう。 紅いクチバシの鳥が山の麓に消えたように、擦り切れたカカトから血を滲ませていこう。 痛みを、そして言葉を。 ひび割れた水筒から水が滴って、星の熱に天高く昇るように。 さあ、いこう。 “いつも”のように。 さあ、始めよう。 2 いらない。 そういったところで、なにも変わることはない。 結局はぬかるんだ泥のように、必要あるないに関わらずひっついてくるのさ。 だったら、そのままにしておけばいい。 どうせ、気にしなければいいだけさ。すぐに忘れてしまうだろう。 忘れてしまえばいいだけさ。 3 時間はある。 そういったところで、なんの保証にもならない。 結局は灰色の廃夢のように、その手をすり抜けていくのさ。 だったら、決めてしまえばいい。 希望は、最後に残された“災厄”ではないと。 すみれ色の瞳が、あなたをみている。 4 無駄なことはしなくていい。 そう“あのヒト”はいったけど、なにが無駄で、なにが無駄じゃないのかな? 暇つぶしの散歩だって、“あのヒト”からみれば無駄なことなんだろうけど、あたしにとっては無駄じゃない。 食べることも眠ることも、あくびをすることだって必要なことだ。 バカなことを考えてひとりでクスクス笑うのだって、授業中に居眠りして先生に叱られるのだって、やっぱり無駄とは思えない。 ねえ、教えて。 なにが無駄で、なにが無駄じゃないの? あたしには、わからないよ。 5 ずしりと重い感覚が、右腕から全身に広がった。 ……これが、命の重さなんだろうか。 モノと化した少女は、なにも語ってはくれない。 あたしを殺して。 そう願った少女は、もういない。 残酷な少女だ。 そう、思った。 ぎりと軋む感覚が、胸の奥を締めつけた。 6 少女は紅い月の光を浴びた。 すると大きな目玉の黒い影が、白い地面からでてきていった。 あなたの願いを叶えましょう。 目玉のうねうねと蠢く細い腕が、少女の身体を這いまわる。 ぐらりぐらり。 少女が揺れる。 しかし少女は、どうして世界が揺れているの? と目玉にきいた。 目玉はなにも答えず、うねうねと腕を動かして少女の世界を揺らしつづける。 少女は再び問う。 どうして世界が揺れているの? 目玉は答えた。 あなたの願いは叶えました。次は、わたくしの願いを叶えてください。 7 風が吹いている。 緑草を泳がせて流れていく。 遠く山の向こうから、きっきゅきっきゅと鳥の声。 さわさわと鳴るのは、小川の囀りだろうか。それとも、白い羽を広げた妖精の寝言だろうか。 水の吐息か土のきまぐれか。いまだコタエのない宝珠の世界。 それでも。 いたずらに増えつづける鏤骨にも、やがて溶けるトキがきて、なにもなくすことなく蒸発するのだろう。 かなしい、景色だ。 8 光環はふる。 短き腕のその者に。 長き髪のその者に。 祝福はふる。 紅き血潮のその者に。 土ふみたつその者に。 三つ鐘の音の声がする。 水くみ歩むその者は、黄昏のなか顔あげて、温き大地に感謝をのべる。 月およぐ天。陽、ねむる今日。 9 始まりは終わりではない。 しかし、始まりと終わりを隔てることはできない。 たとえるなら春の涙。そして夏のよろこび。 秋の苦悩。冬のいたわり。 流転。 やがて停滞。 なればこそ。 始まりは終わりではなく、終わりは始まりではない。 とく急ぐ空。風、凪ぐる海。 |