「雪奈 −ゆきな−」

 

 ここに、雪奈という一人の少女がいる。

 白く透き通る肌と、サイドで纏めた野暮ったい三つ編みをほどけば、肩胛骨が隠れるほどの美しい黒髪を持つ少女だ。

 年齢は十一歳。小学校の五年生である。

 145cmという身長を考えると、彼女の30.2kgという体重は妥当なのだろうか。それとも軽いのだろうか。それは彼女自身の「理想」にも関係するので他人がどうこうはいえないが、はっきりいって彼女は痩せて見える。

 強く掴めば折れてしまいそうな細い四肢。胴体も細くて薄く、どうしても儚げに見えてしまう。だが和風な美少女と誰もが認めるであろう面には、そんな細くて儚げな身体つきが「似合って」いなくもない。

 雪奈は、整った面をしている。「かわいい」とか「きれい」だとかいうよりも、「整っている」という顔つきだ。それは、匠の技で形作られた日本人形のようにも見える。

 目立つことが嫌いで、知らない人と話すのが苦手。だが、一人でいるのが好き…というわけではない。誰であろうと、やはり一人は寂しいものだろう。

 だが雪奈は、いつも一人だ。

 友人といえる「誰か」はいない。友達が欲しいとは思う。だが、作れない。作りかたがわからない。

 勉強ができないというわけではない、運動も普通にはこなせる。水泳は大の得意だ。しかし彼女は自分のことを、どうしようもない「無能」だと思い込んでいた。

 自分が「無能」だから、誰も自分を相手にしてくれないのだと。

 放課後。今日も雪奈に「いっしょに遊ぼっ!」と、声をかける者はいない。

「もしかしたら…誰か、私に声をかけてくれるかもしれない」

 掃除が終わっても、意味もなく教室に残る雪奈。だが自分から誰かに声をかけるわけでもなく、自分の席に座って小学生が読むにしては珍しい…というよりは小難しい、海外のミステリー小説の翻訳版を捲っているだけだ。

 一人、そして二人、三人。教室から児童たちが出ていく。

「なぁ! これからオレんちこねぇ?」

「いくいくッ」

「あっ! オレもいっていいだろ?」

 連れだって教室を出ていく男の子たち。

「ごめ〜ん。あたし、今日ピアノ教室なの」

「そっかぁ…ざんねん」

「でも明日は平気だから、明日いこうよ。ねっ?」

「うんっ、そうだね。じゃ、明日いこっか?」

 微笑み合い、雪奈がいることなど眼中にない様子で、やはり教室を出ていく女の子たち。

 やがて教室に残っているのは、雪奈だけになっていた。

 雪奈一人だけ。その他には、誰もいない教室。遠くから誰かの楽しげな笑い声が聞こえていたが、少なくともそれは雪奈に与えられたものではなかった。

 雪奈が捲っていた本を閉じる。捲っていただけなので、読んでいるふりをしていただけなので、内容は全く頭に入っていない。

 結局雪奈は、机の中の物をランドセルに詰め、最後に捲っていた本を詰めて席を立つと、そのままランドセルを背負って一人教室を後にした。

 その間彼女は溜息一つ吐くこともなく、全くの無言だった。

 

「…ただいま」

 十七階建てのマンション。その十一階の1102号室が雪奈の家だ。室内は4LDKと、雪奈と母方の叔母の二人暮らしにしては広い。

 雪奈は両親と三歳のときに死別している。交通事故だった。彼女に、両親の思い出はほとんどない。両親の写真を観ても、なにも思い出すことはない。

 雪奈にとって、唯一の肉親ともいえるのは叔母だけだ。父母共に両親…雪奈にとっての祖父母は雪奈が産まれる前に亡くなっているし、父は一人息子だった。

 なので雪奈は、両親の遺産(主に保険金)と共に叔母に引き取られることになった。このマンションは、その遺産で叔母が購入した部屋だ。

 帰宅を告げる雪奈に、叔母の声は返ってこない。だがそれはいつものこと。最近叔母は「彼氏」のところに入り浸っていて(叔母が自らそういった)、週に一回帰ってくればいいほうだ。

 雪奈は、叔母が嫌いなわけではない。雪奈にとって叔母は、唯一の家族なのだから。

 自分が叔母に愛されているかどうかということはわからないが、雪奈は自分も叔母を愛しているかどうかがわからない。

 自分よりも彼氏を大切にする叔母。それでいいと思う。叔母は叔母で、自分は自分だ。家族といっても、それは「形」だけ。

 偽物の絆。

 そう感じてしまう自分を、雪奈は「イヤな子」だと思っている。

 自室に向かう雪奈。女の子にしては殺風景な部屋。ぬいぐるみなど一つもなく、壁にアイドルのポスターが貼ってあるわけでもない。

 あるのは、勉強机とベッドの他は、三つの本棚にギッシリと詰め込まれた本くらい。マンガもあれば、小説もある。なぜか「食べられる草の見分け方」という、サバイバラスな本もあった。

 ランドセルを机の上に置き、ベッドに腰掛ける雪奈。無表情で三つ編みの髪を弄ったりしているが、それになんの意味があるのかは自分でもわかっていない。

 髪を弄るだけの無意味な時間。いつの間にか時計の針は、雪奈が帰宅してから一時間二十三分が経過したことを示していた。

 といっても、やっと午後五時三十分になろうかという時間だ。雪奈はベッドから離れ、ダイニングキッチンに向かう。そろそろ夕食の準備を…と思っての行動だったが、冷蔵庫の中を覗いて、急にやる気が失せた。

 冷蔵庫には調味料と牛乳、その他にはしなびれたネギしか入っていなかった。そういえは今日家を出るとき、「お買い物しなくちゃ」…と思ったことを雪奈は思い出した。

 雪奈は冷蔵庫を閉め、買い物に出るか買い置きのレトルトで済ませるかを十秒ほど考え、結局レトルトで済ませることに決めた。

 決めてしまうと、夕食の時間にはまだ少し早い。宿題があればそれを済ませてしまうのもいいが、今日は宿題が出ていなかった。

 雪奈は他人から見ればボ〜っとした顔で虚空を眺め、十数秒後テクテクと歩き出した。向かったのは再び自室。またベッドで髪弄りか? と思うのは早急で、雪奈は机の真ん中の引出からなにかを取り出すと、それを持ってトイレに移動した。

 トイレに入り、なぜか服を脱ぎ出す雪奈。細く薄い身体を露わにする。

 微かな膨らみを帯びる胸部。五年生にしては未成熟だ。突起は半ば埋もれているし、ブラも必要ないだろう。実際雪奈は、ブラを着けていなかったが。

 雪奈は飾り気のない純白のショーツだけになり、脱いだ服を丁寧に畳んでからトイレの外に出す。

 服を外に出した雪奈は、ドアを閉めて中から鍵をかけると、ショーツをはいたまま洋式の便器に腰を下ろした。

 そして自室から持ってきた物…それは、お寿司を買うとついてくる小さな醤油の容器にも似ているが、中に入っているのは醤油ではない。

 その容器の中身は、液状の下剤だ。

 雪奈は下剤のキャップを外し、躊躇いなく咽に流し込む。そして、こくん…と音を立てて嚥下すると、空になった容器を足元に転がした。

 便器に座り、揃えた膝の上に両手を添える雪奈。膝から下は、「ハの字」に軽く開いている。

 そのままの姿勢で約三分。

 ぎゅるるるうぅ〜っ

 雪奈のお腹が第一声を発した。彼女はそわそわした様子で肩を揺らす。いつもは無表情な顔が、どこか嬉しげな色に染まっていた。

 ぎゅる…ぎゅ、グルぎゅるギュルルうゥッ!

「あ…っ」

 吐息のような声が漏れる。もし、雪奈の閉じられた脚の奥に隠れるショーツの中心をのぞき見ることができたなら、そこに湿った染みが浮かんでいるのがわかるだろう。

 徐々に激しくなる下腹部でのうねり。ピクピクと、小刻みに震え始める幼い身体。雪奈はギュッと膝を掴み、下唇を噛みしめた。

「んっ…ぅん」

 切なげな、もうこれは声ではなく吐息。雪奈の頬が、桜色に染まる。

 最初に響いたのは、プピッ…という、小さな音だった。

 その一瞬後、

 ブチュ、ブビブビビイィイィッ! ビッ、ブスウゥ ビチュにちゅニュちイぃいぃっ びちゅ、びちゃ、ちゃ…ブリビリッ! ぶ、ブチャ、すぴいぃ〜っ

 湿った音を響かせ、ショーツの中に吐き出される軟便。最後の気の抜けるような放屁音は、かわいいと思えなくもなかった。

「あ…あはっ、で、でちゃったぁ。汚いうんち、パンツの中にでちゃったぁ…」

 でちゃった…ではなく、自分で出したのだが、そういって雪奈は「くすくす」と嬉しそうに笑う。

 その笑顔は、雪奈という少女は、本来、これほど表情豊かに笑えるのか…と思わせるほど、魅力的で愛らしい笑顔だった。

 純白だったショーツを自らの色に染め、ピチャピチャと便器に零れるウンチ汁。こんもりと脹らむショーツの隙間からニョロリと軟便が押し出され、ピチョンと音を立てて落ちた。

 雪奈は右手を後ろにまわすと、ショーツの脹らんだ部分に手の平を押しつける。

「あっ…いっぱい。いっぱいでちゃった…うんち、ビチャビチャうんち、いっぱいでちゃったぁ」

 何度も「うんち、うんち」と口に出し、ショーツ越し軟便をこねる雪奈。それも、とても嬉しそうな顔で。

 やがて雪奈はショーツに右手を潜り込ませ、直接軟便を掴み取ると、手にした軟便を外に出して胸元に擦りつけた。

「おっぱい、うんちで汚れちゃったぁ」

 口に出しての状況説明。その上間違っている。汚れちゃったのではなく、自分で汚したのだ。

 ニチャヌチャと胸を揉み…というよりは、揉めるほどないのでさするように塗糞を施す雪奈。軟便に塗装された通常半ば埋もれている先端は、雪奈の手の中でピンと突き出していた。

「汚い…でも、気持ちいい…」

 胸への塗糞を終えた雪奈は、手についたものをペロペロと舐め取ると、便器から腰を上げて慎重な動作でショーツを脱ぐ。露わになったお尻には、ベットリと黄色の強い軟便が張りつき、一本線でしかない閉じた性器までもその色で染めていた。

 軟便を包み込むショーツを、うっとりとした顔で見つめる雪奈。黒い瞳は潤んで輝き、頬は鮮やかに上気している。

 雪奈は包み込むように両手にしたショーツを恭しく顔に近づけ、瞼を閉じて「くん」…と、鼻で空気を吸い込んだ。

「…くさあぁい。あぁ…なんてくさいのかしら? 私のうんち」

 言葉とは裏腹に、嬉しそうな声で雪奈が呟く。

 雪奈は瞼を開けて、目の前のショーツに包まれた軟便を見つめる。ドロドロした黄色の軟便。雪奈はそっとキスするように唇を軟便につけ、

 ジュルッ。じゅ、ジュルじゅるうぅっ

 一息にそれを啜った。

 ピチャピチャと音を立て、口腔内で軟便を転がす雪奈。とても幸せそうな顔で。しばらくそうして軟便を味わってから飲み込むと、

「くさいけど…美味しいぃ」

 といって、残っている軟便を同じようにして啜った。

 ショーツの中身がなくなるまでに、五分とかからなかった。なくなると雪奈は物足りなさそうな顔をして、汚れたショーツを口に入れてチューチューと吸った。

「…はぁ。美味しかったぁ」

 ショーツを口から出し、息を吐く雪奈。雪奈はショーツを便器の水で洗いそれを絞ると、手を拭うタオルをタオルかけから取って床に落とし、そこにショーツを引っかけた。

 脱力したように便器に座り込む雪奈。

「ハァ…」

 溜息を吐くと同時に、チョロチョロと遠慮がちな小便が、乾き始めた軟便に染まる閉じたワレメから零れ出る。

 小便には興味がないのか、雪奈はそれを零れるがままに垂れ流した。

 二日ぶりの排便。そして食糞の余韻に浸り、雪奈は食べ終えたばかりの排泄物の味を思い出す。

「うんちは、ベチョベチョが一番美味しい」

 雪奈は思う。軟便をジュルジュルと啜るのが、ウンチの一番美味しい食べ方だ…と。

 あまりに「変態的」な思考。常軌を逸している。

 雪奈は、「うんちを食べる」ことも、「うんちを身体に塗る」ことも、普通のことではないと理解している。

 だが雪奈は、どうしても食糞、塗糞をしたくなるときがあるし、しないと我慢できなくなって、狂ってしまいそうになる。

 だからこれは、「仕方のない」ことだ。

「私はそういうふうにできているから、仕方ないの」

 罪悪感、嫌悪感は、もう…ない。

 雪奈が初めて、どうしようもなく食糞したくてたまらなくなってしまったのは、三年生のときだった。

 なにが切っ掛けになったのかは憶えていない。気がつくと雪奈は、便器の水に沈む排泄物を手に取り、むしゃぶりついていた。

 汚いとか変だとかいうことよりも、とても満たされた気がして満足した。心に空いている穴が、すっぽりと埋まったように思えた。

 その日から雪奈は食糞を続け、四年生のときには塗糞も覚えた。身体にウンチを塗るのは、とても気持ちがいいことだった。

「私は、ヘンタイなんだ」

 悩んだこともあったが、食糞、塗糞の魅力には勝てなかった。だから、こう考えることにした。

「私はそういうふうにできているから、仕方ないの」

 …と。

 誰に迷惑をかけているわけでもないし、もちろん犯罪行為でもない。自分の排泄物を食べているだけ、身体に塗っているだけ。

 それで自分が満足して、気持ちよくなれるのだから、誰に咎められる筋合いもない。

「私のしてることは、確かに汚いことかもしれないけれど、でも、私にとってはとても大切なことなの」

 食糞、塗糞をしなければ、イライラして、集中力が落ちて、鬱状態になって、最後には狂ってしまいそうになる。

 自分を保つために、食糞、塗糞は、雪奈にとってとても大切で重要な「儀式」なのだ。

 なぜそうなのか? そんなことは考えても答えはでない。雪奈の考える通り、「そういうふうにできている」…のだろう。

 雪奈は胸と下半身に塗糞したまま、浴室に向かってシャワーを浴びた。身体を染めるものを洗い流し、生まれ変わったような気分で新しいショーツをはき、トイレの前に置いてあった服を着て、汚れたショーツは後で丁寧に洗うことにして、洗剤を混ぜた湯を洗面器に張って漬けておいた。

 全てを終えると、時計の針は午後六時三十三分を指していた。

 ぎゅるるうぅ

 下腹部のうねりではなく、空腹を主張する腹部からの音。

 食糞したばかりだというのに。

 そう思うとなんだか可笑しくなって、雪奈は声を出さずに少しだけ笑った。

 キッチンに置いてあったカップラーメンに熱湯を注ぎ、できあがるのを待つ間にグラスに牛乳を注いで、お茶碗にご飯を盛った。

 カップラーメンをおかずにご飯を食べる。飲み物は牛乳。まるで一人暮らしの貧乏学生のようなメニューだが、雪奈は気にならなかった。

 そんなことを一々気にしていたら、とても生きてゆけない。

 自分には住む家があり、食べ物もある。世の中にはどちらか一方、そしてどちらも持ち合わせない人が、考えているよりもずっとたくさん存在している。

 友達はいないけれど、両親は死んでしまったけれど、食糞、塗糞を好む「変態」だけれど、それでも自分は、飢えの苦しみは知らない。夜露の冷たさは知らない。

 知らずに済んでいる。

 だから自分は、幸せな人間だ

 雪奈はそんな「常識」も理解できなほど、「バカな子」ではない。

「いただきます」

 ちゃんと手を揃えていってから、箸を持つ雪奈。カップラーメンは初めて食べる銘柄だったが、麺が細くて美味しかった。

 だが食事を終えると、雪奈にはすることがなくなってしまった。お風呂に入るのは寝る前だ、まだまだ早い。

「テレビでも観ようかな」

 と、雪奈がリモコンに手を伸ばすと同時に、電話が鳴った。

「はい」

『あぁ、あたしやっ!』

 確かめるまでもない。叔母だ。声の調子からすると酔っているようだ。まだ、夜も始まったばかりだというのに…。

「どうしたの?」

『どうしたもこうしたもあるかいっ。心配やから電話したんやっ!』

「…誰が?」

『あんたや、あんた。決まっとるやんかっ』

「私? 私なら、なんともないよ」

『せやったらえぇんや』

 意味不明な電話だが、叔母のすることなので雪奈にとっては不思議なことではない。雪奈の知る限り、意味不明さにかけて叔母の右に出る者はいない。

「…叔母さん。今日は帰ってくるの?」

『なんやっ! 帰ってきて欲しいんか? はっは〜ん。さては、大好きな叔母さまに甘えたいんやなっ? あんたもまだまだ子供やなぁ』

「違うよ。ただ、どうなのかなって…」

『みなまでいうなっ! せやったら今から帰るわ』

 どうやら帰ってくるらしい。かれこれ五日ぶりだろうか。

『おみやげはなにがえぇ?』

「いらないよ」

『酒はあかんでぇ。もう呑まれへん』

 雪奈は受話器を下ろしたくなったが、次の叔母の言葉を聞いて愕然となった。

『あんたの好きなウンコは、残念やけど売とらへんねん。叔母さまのでええんやったら、いつでも食わしたるでぇ』

「…(ど、どういうことっ!? どうして叔母さんがあのことをっ!)」

 知られていないと思っていた。隠し通せていると思っていた。

『あんた、あたしが知らん思とったんやろ? あたしはなんでも知っとるでぇっ! 叔母さまやからなぁっ』

 酔っぱらいの戯言だ…とは思えない。知らなければ出てくるセリフではない。

 雪奈の目の前が真っ暗に染まる。誰にも知られていないと思っていたからこそ、楽しんで食糞も塗糞もできていたのだから。

「お、おば…」

『あたしはなぁ雪奈。あんたのこと、かわいいて仕方ないねん。あんたはあたしの娘やっ。せやけどなぁ…やっぱあんたにとって、あたしは母親ちゃうねん。あんたあたしのこと、母親やて思たことないやろ?』

 確かにそれはない。実際、母親ではないのだから。

『いつも寂しいんはあたしだけや。あんたは、あたしなんかおらんでも平気なんや…これが呑まずにいられるかっ…てなもんやっ!』

 叔母はなにをいっているのだろう? いや、なにがいいたのだろう。雪奈にはわからなかった。

「……」

 無言の雪奈。叔母は、トーンを抑えた口調で続けた。

『なぁ、雪奈。一回…ちゃんと話そな? ホンマは、もっと早うそうしたかったんや…でも、でけへんかったんや。もしあんたに、叔母さんなんかお母さんじゃないっ! とかいわれたらと思うと、恐かったんや。でも、ちゃうかったねんな…ちゃんと話さなあかんかったんや。あたし、今日やっとわかったわ…まだ、間に合うよな? まだ遅ないよな? あたしは、雪奈を好きなままでえぇよな? 好きやいうても、えぇよな? なぁ? 雪奈』

 叔母になにかあった。自分の知らないところで、「決定的ななにか」があったんだ。それは叔母の本音を、まぁ酒の力を借りてだが表面化させるほどに大きなことで、そしてそれは、これからの自分たちの関係を大きく左右することにもなるだろう。

 雪奈はそう確信した。が、だからといって、「自分だけの秘密」を叔母に知られていたことのショックが薄れたというわけではなかったが。

『あっ!』

 不意に叔母が、驚いたような声を発する。

「ど、どうしたのっ?」

 雪奈は慌てて訊いた。こんなに叔母のことを心配に感じたのは、初めてだったかもしれない。

『雨降ってきたわ。ほな、今から帰るよってなっ。あたしがおらんからって、ウンコばっか食べとったらあかんでぇ。あんま身体にえぇとは思えへんよってなぁ。食べたらあかんゆうとるんやないでぇ。ほどほどにせなあかんいうとるんや。ま、その辺のことも、帰ったら話そな』

 一方的にいい放つと、これまた一方的に電話が切られた。雪奈はどうしていいかわからず、それでも、なにかしなければと強く感じた。

 取りあえず雪奈は、洗面器に漬けてあるショーツを叔母に見つからないようにするために、バスルームに向かった。

 叔母が帰ってくるまでに、どのくらいかかるだろう? もしかしたら、お腹を空かせて帰ってくるかもしれない。冷蔵庫にはなにもない。買い物にいかなければ。そういえば、雨が降ってきたといっていた。叔母は、傘を持っているのだろうか?

 雪奈は手早くショーツを洗い乾燥機に放り込むと、財布と二本の傘を抱えて家を飛び出していた。

 叔母がどこにいて、どうやって帰ってこようとしているのかはわからなかったが、それでも雪奈は、きっとどこかで叔母に会えると疑いもしていなかった。

 叔母を見つける雪奈。雪奈を見つける叔母。そして、叔母はいうのだ。

「なんや雪奈。あたしが帰るまで、待てへんかったんか?」

 たぶん、照れ笑いの顔で。

 そして雪奈はこう答える。

「うん。待てなかった」

 叔母が初めて目にするような、心からの微笑みで。

 


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