Your Smile

 

 

     0

 

 始まりはいつも「偶然」だ。

 

     1

 

 停滞した時間は、大抵唐突に動き始める。まるで「スイッチ」が入ったかのように、明らかな変化をもたらして。

 それは「偶然」であり、後に「必然だった」となる場合もある。だが変化に身を委ねている「瞬間の連続」には、やはりそれは「偶然」だ。

 未来は圧倒的多数の者にとって不可視で、未だ語られていない物語。だが期待と不安を孕みながらも、日常の延長線上にある物語でしかない。結局、なるようにしかならないし、それが悪いというわけでもない。

 しかし自分が望んだ未来を得ることは難しく、自らの力で導けるものではない。が、「できるだけ幸福な未来」を得る努力は無意味なものではない……と、思いたい。

 波木ほたる(なみき ほたる)は、十日前に提示された「偶然」の中にあり、その「瞬間の連続」に身を委ねていた。

 といっても、取り立てて「なにか」をしているわけではない。

「はい、ほたるちゃん」

 適当に煎れられた……というわけでもないのだろうが、やはりそうとしか思えない安物の紅茶。ほたるは、目の前の直径七十センチほどのテーブルに置かれたティーカップに視線を落とし、

「ありがとうございます」

 といってから、紅茶を煎れてくれた青年にそっと顔を上げた。

 青年は少し照れたように微笑むと、自分の分の紅茶をほたるの対面に置き、座る。

「この人は、どうして私に優しくしてくれるんだろう?」

 自分より一回りも年上の青年。大学生ではなく大学院生らしいが、小学五年生でしかないほたるには、大学生と大学院生の違いはわからない。

 大学生だろうが大学院生だろうが、ほたるにとっては同じ「大人」だ。

 アパートの隣りの部屋に越してきた、大学院生という大人の人。優しくて、なんだか一緒にいるとほっとする人。

 知り合って十日。まだよくわからないが、ほたるは波木洋佑(なみき ようすけ)という自分と同じ名字を持つ他人に対して、少なくとも恐れや嫌悪というものとは無縁の感情を覚えていた。

 こうして一人で洋佑の部屋を訪れることにも、遠慮はあっても抵抗はない。隣りの、誰もいない自分と母の部屋にいるよりも、洋佑の部屋にいるほうが楽しいし安心だ。

 もちろん彼の部屋に寝泊まりするわけではないが、ほたるは唯一の家族である母が「夜のお仕事」に出ていていない自分たちの部屋で、馴れたとはいえやはり寂しい時間を経過させるだけよりも、洋佑とたあいのない話をしたり、ただ一緒にテレビを観たり、宿題を教えてもらったりして過ごす時間のほうが「幸せ」だった。

 ほたるはこの数日、下校して母と早い夕食を採ると仕事に出る母を見送り、すぐに洋佑の部屋に移動していた。洋佑は大学に行っていていないこともあるが、部屋の鍵は貰っている。

「お母さんには内緒だよ。僕も、男だからね」

 意味不明だったが、ほたるは洋佑が部屋の鍵をくれたことに、胸の奥が「ぽわぽわ」とする温もりを感じた。

 引っ越してきたばかりとはいえ、洋佑の部屋は難しい本でいっぱいだ。ほたるは洋佑が帰ってくるのを「待っている」間、その難しい本を捲ったりしてみる。

 当然捲るだけで、ルビの振られていない難しい漢字は読めないし、内容も理解できない。日本語で書かれている本ならまだましで、英語で書かれている本(中にはドイツ語の本もあったが、ほたるにとって外国語は全て英語)はさっぱりだ。

「お兄さん英語読めるなんて、頭いいんだなぁ」

 と感心し、なぜか自分のことのように誇らしい気分に浸ったりする。他人にとっては意味のない時間にも思えるが、ほたるにとってはそれなりに楽しい時間だ。

 ほたるは物心がついた頃には、母と二人きりだった。父のことは知らない。母が話さないので、ほたるは訊かないことにしている。

 幼い頃はそれが寂しいと感じていたが、今では取り立ててなにも感じていない。

「私にはお母さんがいる。それでいい」

 母は無口だが、優しい。ほたるを愛してくれている。裕福ではないが、不自由はしていない。

 母の仕事がどういう種類のものなのか、母は話さないがほたるは漠然と知っていた。

「お酒をのんで、男の人とお話ししたりするお仕事」

 そういう仕事に対しての抵抗、嫌悪はない。ただ、母の身体は心配だ。

「お母さん……あまり、お酒のみすぎないでね……」

 そういうと母は、決まってほたるの頭をなでて微笑む。若い母。まだ三十歳にもなっていないのに、これまで一人でほたるを養い、育ててきた。

 ほたるは母を愛し、尊敬している。なにもできない自分とは違い、

「お母さんはなんて強くて、すてきで、かっこよくて、優しいんだろう」

 ……と、尊敬していた。

 お母さんを助けたい。これ以上、お母さんの荷物にはなりたくない。小学生となるとほたるは、掃除、洗濯、皿洗いと、自ら進んで家の仕事を手伝うようになった。が、料理はじゃまにしかならないので、見ているだけだ。

 不器用というわけではないはずだが、どうしても巧く作れない。何度もなんども練習したが、「どうやら自分には、料理の才能がない」……ということがわかっただけだった。

 ほたるは洋佑にも料理を作ってあげたいのだが、実行には移せない。

「不味い料理を、お兄さんには食べさせられない」

 ほたるが作ったものなら、それがどんなものでも洋佑は「美味しい」というだろう。ほたるは、なんとなくそう思っている。それで洋佑が、ほたるを嫌うことはないとも。

「お兄さんは優しい。お母さんと同じくらい優しい」

 だがどうして、洋佑は自分に優しくしてくれるのだろう。それがわからない。

「お母さんは私の家族だけれど、お兄さんは違う。隣りに引っ越してきただけの、これまでまったく知らなかった人なのに」

 名字が同じ……親戚かもしれない。が、母は「違う」といい切った。「偶然」名字が同じなだけの、他人。ほたるとはなんの関係もない、他人。

 なのに洋佑は、ほたるに優しくしてくれる。

「お兄さんは、私にお父さんがいないってバカにしたりしない。それに子供扱いしないし、ちゃんと女の子として接してくれる」

 優しい洋佑……でも、どうして?

 優しくされる意味。それだけの価値。ほたるは、それが自分にあるとは思えない。

「私は、お兄さんが私に優しくしてくれるほど、お兄さんになにかを返すことができるのかな」

 今はまだ、なにも返していない。与えられるだけで、なにもできていない。子供だからというのはいい訳にならない。洋佑はほたるを子供扱いしていない。「子供」ではなく、一人の「女の子」としてほたるを扱っている。

「私はお兄さんを、どう思っているんだろう。好き……? うん、好き。嫌いじゃないから、好き。

 お母さんへの好きとお兄さんへの好きは、似ているけれど違う。

 でも、どう違うんだろう? 私は、お母さんにもお兄さんにも、いつも微笑んでいてほしい。楽しく笑っていてほしい。

 でもお兄さんには、私だけに微笑んでいてほしい……かな。お兄さんが私じゃない女の子に微笑むのって、なんだか、ちょっとイヤだな……」

 ほたるはそんなことを考えながら、目の前のティーカップに手を伸ばした。

 

     2

 

 紅茶は、少し苦かった。だがほたるは、なにも顔に出したりせはず、

「美味しいです」

 とだけいった。

 時間は午後八時十一分。ほたるは、九時半には自分の家に帰る約束を洋佑と交わしているので、ここにいられるのも残りあと一時間十九分だ。

 ほたるの左側に位置する、ただつけられているだけのテレビからは、キタキツネの親子が草原を走る映像が流れている。ほたるはキタキツネの親子に、自分と母の姿を「見て」いた。

 と、

「かわいいね」

 洋佑がいった。不意のその言葉に、ドキッ! とした。

「キタキツネ」

 ほたるは「そ、そうですね」……と返しながら、洋佑が「かわいい」といったのが「自分のこと」だと一瞬でも思ってしまったことを、恥ずかしく感じた。

 ほたるは母に似ていて、平均以上の容姿(基準が曖昧だが)を持っている。それに自分では意識していないが、セミロングの黒髪は同年代の少女たちと比べても格段の艶と滑らかさを保持していて、このままシャンプーのCMモデルとなってもなんら恥ずかしいものではない。

 しかしほたるは、自分が他人から「かわいい」などといわれるほどの女の子だとは思っていない。かわいくないとも思っていないが、まあ、普通だと思っている。

 なので「かわいい」といわれたなどと、一瞬でも「自惚れた」自分が恥ずかしかった。

 顔を俯けるほたるに、

「どうしたの? ほたるちゃん」

 洋佑が少し心配そうに声をかける。

「な、なんでもないです」

 洋佑はそれ以上なにもいわずに、テレビに視線を戻す。ほたるは洋佑を盗み見して、自分の「自惚れ」が見抜かれなかったかどうか確かめた。

 が、よくわからなかった。

 いつもの優しい横顔。少し子供っぽい感じもするが、それでもほたるにとって洋佑のそれは大人の顔だ。

「ほたるちゃん?」

 横顔のまま、洋佑がいった。

「は、はい」

 ほたるは顔を上げ、「なんだろう?」という顔をする。

「お願いがあるんだ」

「お願い……ですか? はい、私にできることでしたら」

 これは、洋佑になにかを返すチャンスかもしれない。ほたるは少し緊張しながら、洋佑の言葉を待った。

「そ、その……僕と、つき合ってくれない……かな?」

「はい。いいですよ」

 即答するほたる。洋佑は勢いよくほたるに顔を向けた。

「それで、どこに行くんですか? 今からですか? もう夜ですから、あまり遠くへは行けませんけれど、それでもいいですか?」

 お約束といえばお約束すぎるボケ。が、ほたるは本気だった。

「えっ、あ、その……そういうつき合いじゃないくて……」

 言葉を探す洋佑。からかわれているのだろうかとも思ったが、ほたるは変に真剣な顔をしている。どうも、からかわれているとは思えない。

 それにほたるは、「そういう子」じゃない。だからこそ洋佑は、「つき合いたい」と望むようになったのだし、一回りも年下のほたるを「好き」になってしまったのだ。

 この二日間、研究も手につかないほどに悩んで、やっと思い切って口にできた言葉をお約束なボケで交わされた洋佑は、なんとか平常心を保とうとそれなりに無駄な努力をしながら、もう一度、こんどはほたるにも理解できるように、

「だからその……僕を、ほたるちゃんの彼氏にしてほしい」

 なにか複雑な顔をするほたる。「わたくし、ただいま思考中」という顔だ。ほたるの思考が終わるまで、洋佑は黙ったままほたるを見つめていた。

「……そ、それは、恋人って……ことですか?」

 思考時間は、約二分だった。結構長く思考していた。メモリが足らないのだろうか? だが、どうやらほたるは、洋佑の言葉の意味が理解できたらしい。

「……ま、まぁ、そうなるかな」

 そうとしかならない。

「そ、そうですか。恋人……ですか」

 唖然とした顔でほたる。なにを考えているのか読みとれない。

「あっ、イヤならいいんだ。ごめん、変なこといってっ……そうだよね、僕みたいなオジサンはイヤだよね」

「えっ? お、お兄さんはオジサンじゃないですっ」

 夢から醒めたように表情を取り戻し、真面目な顔でほたるはいった。

「そ、そう……?」

「はい。それに私……」

 ほたるはなぜかキョロキョロと室内を見回し、

「イヤじゃないですっ。私、お兄さんの恋人になりたいですっ!」

 慌てたようにいった。

 しばしの沈黙。正確な時間にして二十三秒後。

「あ、ありがとう」

 洋佑が答えた。

 ほたるはバッと顔を俯け、

「……はい」

 消え入りそうな声を返す。

 と、洋佑がテーブルを回り込み、ほたるの側に移動してきた。ほたる正座したままの姿勢で、洋佑に身体の正面を向けた。

 洋佑はほたるの前で屈み、彼女の細い肩に両手を置く。近づく洋佑の顔。ほたるは折った膝の角度を拡げて身体を持ち上げると、そっと目を瞑った。

「私、キス……しちゃうんだぁ」

 その予想通り、触れ合い重なる唇と唇。

 生まれて初めてのキスは、なんだかよくわからなかった。そっと唇が重なっただけだったが、ほたるには「とんでもないこと」をしているかのように思えた。

 唇が離れてから、

「うまくできたのかしら? 私……」

 と思ったが、顔を真っ赤にしてそれでも自分を見つめている洋佑を見ると、「そんなこと」はどうでもよくなった。

「……もう一度、します?」

 いってから、バカなことをいってしまったと後悔……する暇はなかった。後悔する前に洋佑の顔が再び近づいてきて、ほたるは瞼を閉じた。

 二度目のキスは、一度目より落ち着いてできた。言葉にできないほど心地よく、唇から洋佑の優しさが身体中に染み込んできた。

「洋佑さん……本当に私のこと好きなんだな」

 疑いもなくそう思った。そしてほたるの中で洋佑は、「お兄さん」から「洋佑さん」に変わっていた。

「私も、洋佑さんが好きです」

 想いを込めて唇を押しつけた。肩に置かれていた洋佑の腕が、ほたるをギュッと包み込む。ほたるも洋佑の腰に抱きついた。

 舌を差しいれたのは、どちらからだったろう。いつの間にか二人のキスは、深いものになっていた。

 注ぎ込まれる洋佑の唾液。ほたるは無心でのんだ。吸い取られようになる舌。自分も洋佑の舌を吸い取ろうと吸った。

 意識しなくとも、口が、舌が、自動的に蠢く。

 身体が熱い。どうしてだろう? 泣いてしまいそうだ。悲しくないのに、寂しくないのに、嬉しいのに……。

 いつまでも続くかのようだったキスが終わる。ほたるは唾液に濡れる口元もそのままに洋佑を見上げ、

「……私のこと、好き……ですか?」

 訊かずにいられなかった。

「好きだよ」

「私もです」

 即答に、即答で返すほたる。

「私も、洋佑さんが大好きです」

 洋佑さん……と、彼を呼んだ。「お兄さん」と呼ぶよりも、ずっと心地よかった。

 

     3

 

 ほたるの日常は明確に変化した。

 なによりも、そして誰よりも(母は除いて)洋佑のことが一番になった。

 学校が終わると直帰し、仕事に向かう母を見送って洋佑の部屋へ。洋佑の帰りを待つ間、汚れてもいないのに部屋を掃除し、洋佑の衣類を洗濯する。下着に触れるのは少し恥ずかしいけれど、恥ずかしいだけでイヤではない。

 洋佑は研究が忙しいらしく、帰宅が遅くなることもある。が、遅くなるときには必ず電話をくれる。

『ごめん、ほたる。少し遅くなりそうだけど、ちゃんと九時までには帰るから』

「はい。いい子にして待ってます、洋佑さん」

『ほたるがいい子なのは知ってるよ。大好きな恋人だからね』

 恋人となり、洋佑はほたるを「ほたる」と呼び捨てにするようになった。ほたるとしては、嬉しいことだった。

 ほたるも洋佑を「洋佑さん」と呼び、二人は年齢差のことを考えなければ、ごく普通のラブラブカップルとなっている。

「好きだよ。ほたる」

「私もです。洋佑さん」

 飽きもせずに毎日繰り返される「挨拶」。そして交わされるキス。ほたるは、洋佑とのキスが大好きだ。

 優しくて、気持ちよくて、溶けてしまいそうになる。

 だが二人は恋人となって約二週間。キス以上の関係には進んでいない。

 しかしほたるは、

「祐介さんになら、私の全部あげてもいい。洋佑さんがしたいなら、私どんなことでもできる」

 と、思っている。

 ほたるは人並みには性知識を持っているし、自慰経験がないわけでもない。セックスという「愛し合いかた」も漠然とだが理解しているし、セックスをしても、まだ自分には赤ちゃんができないということも知っていた。

 ほたるの本心を覗いてみると、実は彼女は、

「私……洋佑さんとセックスしたいなぁ」

 と、思っていた。

 だが自分から「私とセックスしてください」などという恥ずかしいことはいえないし、エッチな子だと思われたくもない。

 洋佑の部屋のリビングで、一人テレビを見ているほたる。今日は洋佑の帰りが遅いらしい。そういう電話があった。

「退屈だなぁ」

 面白くもないテレビ。ほたるはテレビを消すと、誰もいないのにキョロキョロと辺りを見回し、なんとも形容しがたい素早さで、リビングの隅に置かれている洋佑のパイプベッドに潜り込んだ。

「くすっ……洋佑さんの匂いだぁ」

 洋佑のベッドに入るのは初めて。ほたるはシーツで身体をくるみ、クンクンとその匂いをかぐ。

「……あっ、どうしよう……なんだか、エッチな気分になってきちゃったぁ」

 洋佑のベッドに潜り込み、シーツに染み付いた洋佑の匂いをかいだほたるは、どうやら発情してしまったようだ。

 キュン……と胸が締め付けられ、股間の辺りがムズムズとし始める。

「ちょっとくらい……いいよね?」

 ほたるはベッドの中で子供っぽいバックプリント入りのショーツを足首まで下ろし、少し考えてから膝上丈のスカートを完全に脱いだ。

 下半身丸裸になったほたるは、完全に閉じて肌にはしる一本線でしかないワレメに右手を誘い、

 くにゅ……くにゅくにゅうぅ

 二本の指をワレメに平行させるようにして押してみる。

「あっ……」

 ぴくんっ……と、身体を走る快感。

「わ、私……洋佑さんのベッドでエッチなことしてるぅ」

 思うとドキドキして、ほたるはもっとエッチな気分になった。おっぱいの先がズキンッとして、触らずにいられない。

 ほたるは左手で、ブラを着ける必要のない胸の右側にブラウス越しに触れ、硬くなった先端を重点的に捏ねる。それと同時にワレメの内部に指の腹を埋め、クニクニと刺激を加えた。

 ジュンッ……

 湿り気を指に感じる。

「これ以上はダメえぇ」

 これ以上エッチなことをしてしまうと、お漏らししてしまうかもしれない。ほたるは自慰をすると、必ずといっていいほど最後にお漏らししてしまう。

 なのでほたるの自慰は、いつもお風呂場でと決まっていた。

 が、ほたるの欲情は収まってくれない。いけないと思いながらも、ほたるは両手の指を動かし続ける。

 透明でサラサラとした恥汁が太股にまで垂れ、おっぱいの先が痛いくらいに気持ちよくて、どうしても指が離れない。これほどまでに気持ちいいエッチなことを、ほたるは経験したことがなかった。

「あっ、あっ、あぁアァ〜ッ!」

 思わず漏れる声。堪えきれない。

「ホ、ホントにこれ以上はっ」

 思った……いや、感じたとき、

 ビクビクビクンッ!

 激しい電流がほたるを撃った。

 どぷっ……と零れ出た恥汁が、ほたるの手の平全体を濡らす。

 これまでにほたるは、自慰で「恥汁を溢れるくらいに零した」という経験はない。その前にお漏らしをしてしまい、それでエッチなことを終えるからだ。

 ほたるはそれをお漏らしと勘違いし、

「や……やっちゃったぁ」

 泣きたい気分になった。

 ほたるの頭の中では、洋佑のベッドは自分のおしっこでベチョベチョになっている。が、実際にはそれほど「絶望的」な状態ではない。

 確かに恥汁はベッドに零れているが、急いで拭えばなんとかなるだろうし、そもそも拭わなくても、乾いてしまえばわからないだろう。

 ほたるはおそるおそる左手でシーツをはぎ、状態を確認した。

「……あ、あれ?」

 想像とは違った状態のベッド。よくわからないが、お漏らしはしていない。

「よ、よかったぁ……」

 だが、安心し緊張が解けた瞬間、

 ぷしゃあぁあぁ〜っ!

 まさしく黄金水と呼ぶにふさわしい色のおしっこが、ベッドの上に放水された。

 ピキーンッ!

 一瞬にしてほたるの身体が固まる。が、放水は収まらない。その最後の一滴まで黄金水はベッドに染み込み、ほたるのお尻にまで湿りが到達する。

 お漏らし。それも恋人のベッドで。

 ほたるはパニックにな……らない。固まったまま動かないほたる。まさに茫然自失の見本だ。

 ベッドはすでに「絶望的」な状態を立派に形成し、部屋にはおしっこ臭が満ちている。

 楽園から一挙に地獄へと直行したほたる。恥ずかしいということよりも、洋佑を怒らせてしまうのではないか、洋佑に嫌われるのではないかということが、ほたるの心臓を鷲掴みにしていた。

 が、冷静に考えてみると、「こんなことぐらい」で洋佑が怒るわけがないし、ほたるを嫌いになるなど絶対にない。

 ほたるもそのくらいは理解しているはずだ。

 だが、目の前に拡がるおしっこの染み、太股からお尻にはしる湿りが、ほたるから冷静さを奪っていた。

 小学五年生。もう、オネショをしていい歳ではない。オネショなどといういい訳はできない。そもそも恋人に、例えほたるでなくとも、「オネショしちゃいました」などといえるわけがない。

 ようやく「なんとかしなくちゃ」と思いたったほたるは、取りあえず、足首に引っかかる湿ったショーツを定位置に戻し、脱いだスカートに手を伸ばした。スカートはおしっこを目一杯に吸い、持ち上げると変に重く、とてもはける状態ではない。

 ほたるがスカートを顔の前に拡げ、

「う、うぅ……ど、どうしよう」

 と、スカートの扱いに困って下唇を甘噛みしたとき、

 ガチャッ

 玄関の鍵が外れる音に次いで、

「ただいま、ほたる。思ったより早く帰ってこられたよ」

 扉が開く気配と共に、洋佑の声が届いた。

 ほたるはビクッ!……と身体を跳ね、咄嗟にシーツを被ってベッドの中に隠れる。それが、隠れたと呼べる状態なら……だが。

「ほたる?」

 リビングに洋佑が入ってきたのが、シーツを被っておしっこの染みに顔を近づけているほたるにもわかった。

「お、お願い神さまっ!」

 神さまになにをお願いしたのかはわからないが、ほたるが心の中でそう叫んだ二秒後。

「……なにしてるの? ほたる」

 バサッ

 勢いよくシーツが剥がされた。

 現れたのは下半身がショーツ姿で、ベッドの上に背中を丸めて、なにかを隠すようにうずくまっているほたる。

 だが洋佑も大学院生。室内に立ちこめるおしっこ臭に、ほたるの身体の下になにがあるのかは理解できた。

 ほたるは一度盗み見るように洋佑に視線を向け、そしてすぐに逸らすと、

「えっ、えっ……ご、ごめんなさい、洋佑さん。わ、私、えっ……洋佑さんのベッドに入ったら、エッチな気分になって、うっ、エッチなことしちゃって、そ、それで、お、お漏らししちゃったんです。えっ、えっ、ごめん、ごめんなさあぁい」

 泣き崩れるほたる。おしっこの染みに顔を押しつけているが、気がついていないようだ。

 洋佑は泣いているほたるの頭に手の平を置き、

「泣かないで、ほたる」

 優しい口調で告げた。

「ほたるが泣いてると、僕も辛いよ。だから、泣かないで」

 ほたるの頭をなでる洋佑。

「よ、洋佑……さん?」

 ほたるはそっと上半身を起こし、涙で濡れる顔を洋佑に向けた。

「ゆ、許して、くれる……ですか……?」

「許すもなにも、僕は怒ってなんかいないよ」

「だ、だって私……もう五年生なのに、お、お漏らし……」

「いいんだよ、ほたる」

 微笑み。いつもの、優しい洋佑の微笑みだった。

「う、うぅ……えっ、えっ」

 安心。そして嬉しさ。ほたるは顔を覆って泣き出した。洋佑は泣いているほたるの頭をなで、

「ほら、ほたる。取りあえずシャワー浴びておいで」

「うぅ……は、はい」

 洋佑に促され、バスルーム(ユニットバスではない)に向かうほたる。その後ろ姿を見送る洋佑の目に、濡れたショーツから透けるほたるのお尻の色がはっきりと映り、彼はバッと顔を逸らした。

 彼には心に誓っていることがある。

 それは、「ほたるが大人になるまで、キス以上には進まない」……という誓いだ。

 しかし「あんなもの」を見せつけられたら、その誓いも揺らいでしまう。

 ほたるは確かにまだ子供だ。だが洋佑にとっては恋人であり、世界で一番大好きな人でもある。それに鼻孔を刺激する、ほたるのおしっこ臭。

 ほたるのものだと思うと、洋佑には心地よく、そして刺激的な(特に下半身には)香りだった。

「ヤバイよ……ほたる、かわいすぎるよ」

 自分のベッドに入り、エッチな気分になったと告げたほたる。ほたるほどの年齢の女の子がエッチなことを全く理解しておらす、そして興味を持っていないとは洋佑も思っていない。ほたるが「一人エッチ」をしていたと聞かされても、別に驚きはしなかった。

 しかし「一人エッチ」の場所が自分のベッドで、お漏らしまでしてしまったとなると、多少「それはどうか」と思わなくもない。怒っているとか、呆れているとかいうことではないが。

 洋佑は自分の理性が削がれてしまう前に、室内のおしっこ臭をどうにかしようと、取りあえず窓を開けることにした。

 

     4

 

 一人シャワーを浴びていると、冷静になったほたるを、消えてしまいたくなるほどの恥ずかしさが襲ってきた。

 が、洋佑の優しい言葉を思い出すと心が満たされ、

「洋佑さんになら、どんなに恥ずかしいことを知られてもいい」

 と思ったりもした。

「……このまま裸ででていったら、洋佑さん、私を抱いてくれるかしら……?」

 想像し、一人頬を赤らめるほたる。

「だって私は、洋佑さんの恋人だもの……セックスしても、いい……わよね。ううん、するのが当然よ。洋佑さんだって、したいに決まってるわ」

 確かに洋佑は「したい」と思っている。が彼は、「まだしてはいけない」ということも理解していた。

 だが「そのような」ことは、子供のほたるにはわからない。恋人同士なのだから、セックスするのは当然。なにも悪いことじゃない。

 愛する恋人と身体を重ねる。それだけのこと。それだけの、とても幸福な予感を抱かせてくれる憧れ。

 だからほたるは、一メートル四方の脱衣場で身体と髪の湿りを拭うと、そのままの格好でシャワールームを後にした。

 少しの緊張と、胸一杯の期待とともに。

 

 十五分後。

「……うっ、うぅ……ご、ごめんなさい、よ、洋佑さん」

 リビングのテーブル。洋佑と向かい合って座るほたるは、上半身には自分の服、下半身には洋佑のパジャマという姿で泣いていた。

「いいかい? ほたる。ほたるが自分のことをどう思っていようと、ほたるはまだ子供なんだよ」

「えぐっ……は、はい。えっ……」

「もし僕がほたると、その……しちゃったら、僕は犯罪者になっちゃうんだ。ほたるは、僕が犯罪者になるの、イヤじゃないかい?」

「うぅっ……イ、イヤですぅ」

 軽はずみ(というわけではなかったが)な行動で、初めて洋佑を怒らせてしまったほたるは、ただ今お説教の真っ最中だ。

 児童福祉法の存在を知らなかったほたる。まさか自分とセックスすると洋佑が犯罪者になってしまうなど、考えたこともなかった。

「僕は、ほたるが大好きだよ。愛しているよ? でも……だから、今、ほたるを抱くことはできないんだよ」

「ひっくっ……わ、私が、ひっ、悪い……ですか? 私が、こ、子供だから……」

「いいとか悪いとかじゃなくて、ほたるが子供なのは当たり前のことなんだよ。まだ、それだけしか生きてないんだから」

「……ぐすっ」

「確かにほたるには納得できない法律かもしれないけど、僕としては必要な法律だと思ってる。だから今は、ほたるとできない。犯罪者にはなりたくない。僕自身のためにも、もちろん、ほたるのためにも」

 バレなければいい……という考えは、洋佑にはない。ほたるも、そんなつまらないことを口にして、洋佑を怒らせたくはなかった。

 バレなければなにをしてもいいという考え方は、二人揃って持ち合わせていないのだ。してはいけないことは、バレるバレない関係なしに、してはいけないことだ。

 それは倫理という名の呪いであると同時に、常識という名の秩序でもある。

 決まっているから仕方がない……のではなく、自分が必要だと思い、感じる秩序だからこそ、遵守する……のだ。

 洋佑にとってそれは、「未成年のほたるは抱けない」という常識であり、ほたるにとっては、「洋佑を犯罪者にしたくない」という常識である。

「で、でも私……ほ、本当に、洋佑さんが好きで……だ、だから……」

「わかってるよ、ほたる。ありがとう。僕も、ほたるが本当に好きだよ」

 いうと洋佑は立ち上がり、自分の鞄の中からなにかを取り出すと、それをテーブルの上に置いた。

「……これ、気が早いとは思ったけど、買わずにいられなかったんだ」

 置かれた物に視線を向けるほたる。

「でも、渡すかどうか迷っていたから、だから、自分で持ってた」

 それはどう見ても、指輪のケースだった。

「開けてみて?」

「わ、私が……ですか?」

「うん。ほたるに渡したかったから、ほたるに受け取って貰いたかったから、買ったんだ」

 ケースを手に取り、ほたるがそっと開ける。

 現れたのは、プラチナのリング。中心の小さなエメラルドは、ほたるの誕生石である。

「安物で悪いけど、これが今の僕の精一杯だから……」

「……あ、あの……こ、これって……」

「婚約指輪……の、つもりだよ」

 真っ直ぐにほたる見て告げた洋佑の顔には、緊張と不安が張りついているかのようだった。

「婚約指輪なんてまだ早いとは思ったけど、僕は結婚するならほたるとしか考えられないから……あっ、で、でも、それでほたるを縛りつけようなんて思ってないよ。だから、渡すかどうか迷っていたんだ。もし受け取ってもらえなかったら……って考えると、恐かったし……その、ほたる? 受け取って、もらえる……かな?」

 ほたるは呆然とした顔で洋佑を見つめること一分弱。指輪を手に取ると、

「これ……つけてみて、いいですか?」

 洋佑の顔の緊張と不安が、歓喜へと変わる。

「あ、あぁっ。もちろんっ」

 ほたるは小さく微笑み、その指輪を左手の薬指へと誘った。

「えへっ……少し、大きいです」

「ご、ごめんっ。サイズがわからなかったから……」

「でも……すてきです。とっても、すてきです」

 左手を後ろに、胸の前で両手を重ねるほたる。

「ありがとうございます、洋佑さん。私……絶対大切にしますから。洋佑さんの次に、大切にしますから……」

「ほたる……」

「だ、だから、洋佑さんも、わ、私を、えぐっ、えっ……私を、ずっと、えっ、大切に……」

 再び泣き出すほたる。怒られた悲しみではなく、嬉しさからの涙を流す。

「うん……大切にする。絶対、ずっと……ほたるを一番大切にする。約束するよ、ほたる」

「は……はいっ。あ、ありがとう……うっ、うぅ……ありがとう、ひっ、ひっく……」

 言葉にならない。嬉しくて、幸せで。

 だからほたるは泣いた。こんなにも嬉しいということを、言葉にはできないから、泣くことで洋佑に示した。

 洋佑にもそれがわかっているのだろう。彼は無言で、泣いているをほたるに優しい視線を送り続けた。

 

 始まりはいつも「偶然」だ。なぜならそれが「必然」となるには、時間を必要とするからだ。度重なる「偶然」の連続が、やがて「偶然」を「偶然と思っていた必然」に変化させていく。

 だが「偶然」だろうが「必然」だろうが、本当は「そんなこと」に意味はないのかもしれない。

「あなたが好きです」

 そういえる瞬間の中にいるということが、「そう想える場所」にいるということが、多分……きっと、幸福な「今」という「瞬間の連続」を永続させていくのだろう。

 

 こうして恋人たちの時間は揺るやかに、しかし確実に流れ、進んでいく。やがてほたるは「大人」になり、この指輪のサイズが丁度よくなるときが必ずくる。

 だからそのときまで、今日の続きはお預けだ。

 それでこの二人が、なにかをなくすというわけではないのだから。


End


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