「五級天使、Λ【ラムダ】−17439。第二級反逆罪を確定とし、よって、彼のものを存在抹消処分とすることを、ここに決定する」
法廷に染み渡る、一級裁判官の無情な声。
Λ−17439は、自らに下された判決に対して、裁判官に向けていた視線を、瞼を閉じて遮るという以外の行動はとらなかった。
やがて、静かに閉廷の準備を開始する法廷。
罪が確定し、罰が決定された以上、もう、Λ−17439に注目するものは少ない。
たかだか五級天使ごときが抹消処分となろうとも、この〈天界(エデン)〉になんの変化があるということもなく、こうして、彼の「死」は決定された。
天使失格 〜いつかみた青い空〜 〜 邂逅 〜 「ここが、〈第六世界(ジーグ)〉か!」 初めて訪れる〈下界〉。 鮮やかな緑が眩しい山々。曲がりくねり流れる川。澄んだ空気。群をなして移動する鳥たち。それら全てが、彼、五級天使Λ−17439の目には新鮮に映っていた。 「なんてキレイな〈世界〉なんだ」 彼が住む〈天界〉とは違い、有機に満ちた〈世界〉。空気さえも美味しく、〈リゼ〉の輝きで満ちみちている。 彼はふと、緑葉が茂った大木の枝へと降り立つ。鼻腔をくすぐる緑の香りが心地いい。 しかし、 (こんなに、キレイなのに……) 彼は、なぜ自分が〈この世界〉にきたのかを考え、複雑な気分になった。 そう、〈この世界〉には間もなく……。 と、 「お前、そんなとこでなんしてんだ?」 下からの突然の声に、彼は声の方へと視線を落とす。 そこにいたのは、人間の青年。そして青年の視線は、真っ直ぐにΛ−17439を捕らえていた。 ……おかしい。 天使である彼の姿は、人間にはみえないはずだ。 「ボクが、みえるの……?」 Λ−17439は、青年へと声を発してみた。 彼は、 「変なヤツだな。オレはこれでも、目はいいんだ。よく、頭は悪いっていわれるけどな」 笑いながら返してきた。 みえるだけじゃない。声も届いている。これは予想外の事態だ。 だが、 (みられちゃったんだから、仕方ない……よね) Λ−17439はふわりと枝から飛び降り、青年の前へと舞い降りた。すると彼は、 「オレはタクト。タクト・アーカンデルタだ。タクトでいいぜ。で、お前は?」 くったくのない顔で名乗った。 (え!? ど、どうしよう……) 自分も名乗るべきなのだろうか。しかしΛ−17439には、「名」というものがない。彼に与えられているのは、認識番号だけだ。 「ボ、ボクは、Λ−17439」 戸惑いながら、自分の認識番号を告げるΛ−17439。青年は不思議そうな顔をして、 「らむだ17……。は? なんだそりゃ? オレが訊いたのは、お前の名前だぜ?」 問う。 「だから、ボクはΛ−17439なんだ」 「チッ……なら仕方ねーな。だが、そりゃ憶えにくいぜ……」 少し考える顔をする青年。 「そうだ! お前はラム。今から、お前の名前はラム……だ。いいな?」 なんなんだろう、この人間は。もしかすると、人間とは「こういう」ものなのか? Λ−17439の姿は、人間と大差がない。しかし彼は人間ではないし、人間と会うのもこれが初めてのことだ。 (人間というのは、初対面のときに名を名乗りあうものなんだろうか……?) だが、名前を授かるというのは、五級天使でしかない彼にとって、とてもおそれ多いことだ。五級天使でしかない彼には、Λ−17439という、「認識番号」以外を名乗ることは許されていない。 だが……。 Λ−17439は少し迷ったような顔をした後、 「うん! ボクは、ラムだ」 人間が勝手に「そう」呼ぶだけなのだから、罪にはならないだろう。彼はそう考えることにした。 そもそも、〈下界〉の人間に自分がみえる、みえる人間がいる……ということ自体がアクシデントで、まったく予測していなかった事態だ。 〈下界〉での行動は臨機応変に、しかし、「任務」を忘れたり逸脱したりすることのないように。というのが基本だ。 自分は、「任務」を蔑ろにしているわけではない。この人間との間だけで通じる、「二人だけ」の名前を使ったからといって、〈天界〉に背いたことにはならないだろう。 「よし。じゃ、ラム。お前、木の上でなにしてたんだ?」 「え!? なに……って。別に、なにもしてないよ。ただ、キレイなところだなって思って……」 Λ−17439……いや、ラムは正直に答えたが、 「キレイ? 普通だろ? お前、変なヤツだな」 青年、タクトはそういって笑う。 それにしても、よく笑う人間だなとラムは思った。それにボクは「こんな楽しそう」には笑えない、とも。 「そ、そうかな?」 「旅かなんかか? そのなりじゃ、冒険者には見えねぇけど」 「旅っていうのとは違うよ」 その答えに、タクトは少し考えるような顔をして、 「最近は、このあたりでも魔物がうろついていて物騒だ。いく当てがないなら、オレのところにくるか? オレは気楽なひとり者だ、遠慮することはないぜ」 いうと、また、「あの笑顔」で笑った。 〜 日常 〜 小さな村だ。タクトによると、ダミアスという名の村らしい。そのダミアス村の外れ、小高くなった場所に、タクトの住居はあった。 さほど広い家ではないし、ずいぶん「くたびれて」もあるが、タクトひとりが暮らすにはこれで充分なのかもしれない。 「タクトは、ずっとひとりなの?」 屋内に入り、すすめられたギシギシと軋む椅子に腰を下ろすと、ラムが問うた。 人間は、家族という集合を形成し群れることが多い。ラムもそのくらいはしっている。 「まぁ……な」 タクトも椅子に腰掛け、短くそう答えた。 続かない会話。 (もしかして、きいちゃいけなかったのかな?) と、そこに、 「タクトさん、アミです」 扉の外から声が届いた。 「あぁ、いるぜ」 タクトが答えると扉が開けられ、ひとりの少女が姿をみせた。 少女は、タクトより五歳は下だろう、十四、五歳といったところだ。美人ではないが、愛らしいと思える顔つきをしている。 少女、アミは、ラムには目もくれずタクトへと近づく。 (この子には、ボクがみえてない) ラムは思った。 (タクトは、もしかしたら〈灰色の翼〉なのかもしれない) 〈灰色の翼〉。 それは、神によって「意図的」に〈下界〉へと落とされた〈天人〉のことである。 もしもタクトが〈天人〉であったのなら、ラムの姿がみえるのは当然だ。同じ〈種族〉なのだから。 とはいえ、〈天人〉が「あんな楽しそう」に笑えるわけがない。そういうふうには創られていないはずだ。 (違うの? タクトは、特別な人間なの?) まれに、〈天人〉の姿がみえる人間もいるらしい。だがそんな特別な人間は、同時期にひとつの〈世界〉で十人に満たないということだ。 ラムにはタクトが「ナニモノ」なのか、よくわからなかった。 それでも、タクトにはラムがみえているのは事実。タクトが〈灰色の翼〉なのか特別な人間なのかはわからないが、〈天人〉であるラムとコミュ二ケーションが図れるのは確かだ。 アミは手にしていたカゴをタクトに手渡すと、 「服、直しておきました。それから、タタの実がたくさんとれたから、おすそわけです」 「ありがとう。いつもわるいね、世話になってばかりで」 「そ、そんなことないですっ! タクトさんには、こちらのほうがお世話になりっぱなしです」 アミは顔を赤らめていった。 (なんだろう。なぜあの子、顔が赤くなってるんだろう? 人間って不思議だな) アミがタクトに好意をもっているのは、みる者がみれば明らかだ。だがラムには、「恋心」などという心情は理解できない。そもそも、顔が赤らむという現象自体が不思議なことで、その現象に「どういった意味」があるのかさえしらないのだ。 結局アミは、ラムの存在に気がつくことなく帰っていった。 「あの子、タクトの伴侶?」 アミが去り、ラムは問う。 人間は〈卵〉から産まれるわけではない。交尾という儀式を経て、オスとメスの〈リゼの欠片〉を結合させ、新たな〈魂〉をメスの体内で育て、産み落とすのだ。 その交尾をするオスとメスの一対を夫婦とよび、たがいは伴侶とよばれることになる。ラムは、人間についてそう学んでいる。 「違う。彼女は、妹の友だちさ」 妹。家族という集合に属する、年下のメスのことだ。 「妹がいるの?」 「いや、いたんだ。もう……いないけどな」 それは、タクトの妹の〈魂〉が、すでに〈天界〉に昇ったということだろう。人間にとっては死を意味することだ。 ラムは、タクトにどういう言葉を返していいのか検討もつかなかった。なので、黙っていた。 「それよりも、ラム」 「ん? なに?」 「アミには、ラムがみえていないようだったが、なにか心当たりはあるのか? オレにはラムが、アミに姿がみえていないことを自分でわかっているようにみえたんだが」 ラムは人間を「愚鈍」だと見下しているわけではなかったが、タクトのこの指摘には驚いた。 黙りこむラム。どう説明していいのかわからない。 いや、それ以前に、自分が「天使」であることをタクトにいっていいものなのか、判断がつかなかった。 「・・・・・・話したくないのならいいさ。それは、ラムの自由だ」 自由。 好きにしていいこと。 (ボクの、自由・・・・・・?) 自由なんて権利は、ラムには、Λ−17439には与えられていない。 (ボクは、自由なの?) 自由。ラムはなぜか、恐怖を感じていた。 それはとても小さな恐怖。戸惑いといっていいほどの。 〈天界〉から切り離されて、孤立してしまったような感じだ。 (なんだろう? この気持ちは) わからない。理解不能だ。 「ボ、ボクは・・・・・・」 Λ−17439。 「ボクは」 五級天使。 〈天界〉に属する、 「天使・・・・・・なんだ」 人とは違う存在。 目的があって、〈下界〉に、 「そうか、天使・・・・・・か」 「・・・・・・うん」 こうして、天使と人間の共同生活は始まった。 ラムが「帰宅」すると、タクトは少し遅い昼食を採っていた。 「ただいま、タクト」 まだ五日しか経っていないのに、ラムはとても長い時間をタクトと過ごしているように感じていた。そして、こうして「ただいま」と告げることも、ごく当たり前のことのように感じている。 「食うか?」 タクトの問いに、ラムは首を横にふる。 ラムには、天使には食事は必要ではない。いや、〈下界〉の食物は採れない。 そもそも天使は、空腹や渇きなどという苦痛を感じることはない。 最初に「そのこと」を告げたとき、タクトは、 「便利なもんだな」 といった。 「そう……かな?」 「あぁ、そうさ。腹が空かないんじゃ、食べ物に困ることもない。渇きに、飢えに苦しむこともないんだろ? そりゃ便利さ」 そういう……ものなのだろうか。ラムにはよく理解できなかった。彼は、「食べる喜び」というものをしらないのだから。 そして飢えの苦しみも、乾きの苦しみもしらない。 そのときラムは、なんだかタクトに対して申し訳ない気分になった。 「今日は、大猟だった?」 「そうでもない。最近は魔物のせいで、獲物が少なくなっているからな」 タクトは猟師をして生計をたてているらしい。それ以外でも、魔物退治や力仕事をしているということだ。 「そうなんだ。困ったものだね」 「あぁ、困ったものだ」 そういいながらも、タクトは笑っている。 「そうはいっても、ここのところ魔物はザコしか現れていない。それだけでも助かっているさ。多少獲物の数が減ったからといって、すぐに飢え死にってこともない。だが、魔物はな。強いヤツが一匹でも、小さな村だ、壊滅ってことになりかねん」 タクトの笑みが消える。 (そうだ、この世界は……) 忘れていた。 違う、忘れたいと思っていた。 今まで出かけていたのだって、自分の「任務」を果たすためだったのに、ラムはただ、〈下界〉の景色を楽しんで、有機に満ちた風を楽しんできただけだった。 (ボクは〈ここ〉に、遊びにきているわけじゃない) わかっている。わかっていなければならない。 (でも) と、 ガタッ! 突然、タクトが食事を中断して椅子から腰を上げた。 「な、なに?」 ラムの問いに答えず、壁にかけてあった古びた剣を手にするタクト。これまでラムらみたこともないような、こわい顔をして。 「ラム! お前はここにいろ、外には出るなッ」 いい残し、タクトが外に飛び出す。 「タクトッ!」 ラムも外に出る。 小さくなっていくタクトの背中の向こう、村が……燃えていた! (な、なんだよ!? どうなってんのッ) 風を捕まえ、空へと昇るラム。そして彼は、タクトの後を追った。 〜 ラム 〜 黒煙と火の粉が、青い空へと吸い込まれていく。 「タクトッ!」 漆黒の体毛を纏った獣が、強靭な爪をタクトの頭上へと振り下ろす。 タクトは古びた剣で、 「魔物が!」 その爪を腕ごと切り落とした。 (す、すごい!) ラムは戦闘訓練を受けているわけではないが、タクトがすぐれた剣士(といっても、人間としてはだが)であること認識した。 血を啜り、人肉を喰らう獣たち。それを、タクトは「魔物」と呼んだ。しかしラムにとってみれば、その「魔物」たちは「神獣」だった。 神の意志によって、この世界につかわされた「獣」。 ラムと同じだ。 彼も、神の意志によってこの世界に使わされた者なのだから。 ラムの、いや、五級天使Λ−17439の「任務」……。 それは、 『この世界が、予定されている通りに滅びへと向かうかを監視すること』 だった。 この〈第六世界〉は、第六世界神によって滅ぼされることが決定されている。動物も、植物も、人間も、〈この世界〉の全てが、この世界の神によって、滅びへと至ることを決定されているのだ。 その決定が、覆ることはない。 間もなく、〈この世界〉に〈死滅神〉が降臨することになっている。〈死〉と〈滅〉を司る女神が。 そう……〈この世界〉は滅びるのだ。 ラムはしっていた。 なのに、この息苦しさはなんだ? この、やるせなさは……。 生々しい血の臭いと、死の臭い。胸がムカムカする。 「ディ……エナ」 その声の方に目を向けると、女が弱々しく地面を這いずっていた。女が向かっているであろう先では、腹を抉られ内臓を露出させた幼い少女が、血まみれで倒れている。 ラムには、少女の〈魂〉がすでにこの世界から旅立っているのがわかった。 それでも女は、地面を自らの血で染めながら、這いずって少女へと向かうことを止めない。とそこに、一匹の神獣が飛来し、 「や、止めろォッ!」 思わず発してしまったラムの静止を受け入れることなく、神獣はその爪で女を引き裂いた。吐血し、二、三度痙攣してから、女が動かなくなる。そして、〈魂〉が空へと飛ぶ。 その女の向こう。崩れて燃える瓦礫に、脚をはさまれているものがいた。 アミだった。 「タ・・・・・・クト・・・・・・さ、さん」 タクトは、アミの存在に気がついていない。アミへと駆け寄ろうとするラム。 (助けなくちゃッ!) 心から、そう思って。 だが、 ガゴッ! 燃え崩れ、倒れた材木の下敷きになり、アミの〈魂〉は飛んだ。タクトに、なんの言葉も残すことなく。 (あ、あぁ・・・・・・) 死に満ちた光景。 あちらで、こちらで、〈魂〉が空へと昇っていく。 ラムは呆然となっていた。 (な、なんだよこれ!? これが、これが神の意志なの……!?) 自分は、「このために」この世界へと使わされたのか!? 「これ」を見届けるために、自分は〈この世界〉にきたのか!? 舞う火の粉の中、神獣の咆吼が響き渡る。しかしその咆吼に負けぬほどの咆吼を発している者がいた。 タクトだ。 タクトは全身を魔物の体液で濡らし、吼えながら剣を振るっていた。 「タク……ト」 なぜだろう。言葉にならない。苦しい。この苦しさはなんだろう。ラムはどうしようもなく、タクトにすまないと感じていた。 (こめん、タクト。ごめんね……) 自分が悪いわけじゃない。自分が、〈この世界〉を滅ぼそうとしているわけじゃない。 〈この世界〉。 タクトが生きる、〈この世界〉を。 ……これが、「〈世界〉を終わらせる」ということなのだろうか。ラムはわからなくなっていた。 行き詰まった世界を破滅へと導くのは、“摂理”に照らし合わせても必要なことだ。 ラムはそう教えられてきたし、それを疑う必要もなかった。 しかし……。 (これが、こんなのがッ!) 崩れていく、これまでの価値観が。これまでの自分が。 満ちていく死。そして、破滅。 すべてが、「終わり」へと向かって進んでいく。 「ガアアァアァッ!」 獣の叫びを上げるタクト。振り下ろされた剣が魔物のわき腹に埋まり、そして……折れた。 タクトは折れた剣を手放し、頭を左右にふった。代わりになる武器を探しているのだろうが、視界に武器となるようなものはない。 ザッ! タクトの正面に、手負いでない魔物が舞い降りた。武器はなく、だが、それでもタクトは逃げなかった。 ラムは、自分が潰れてしまいそうに感じた。 (タクトが死んじゃうッ! 殺されちゃうッ) イヤだ。それは、絶対にイヤだ! 人間は、神によって作られた家畜だ。高純度の〈リゼ〉を効率よく採取するために作られた、家畜なのだ。 なのに……どうして!? わからない。ラムにはわからない。 タクトは生きている。懸命に魔物へと立ち向かっている。 なんのために? 〈この世界〉を守るため? いや、生きるために……か。 生きる。やがて朽ちるトキがくるまで。 なんて尊いことなんだろう。なんて美しいことなんだろう。 苦しい、胸が。ココロが! 魔物の爪が、タクトへと振り下ろされる。ダメだ。避けられない! 「タクトッ!」 ラムは叫び、「折り畳んで」いた翼を拡げ、自らの〈力〉を開放した。 拡がる、白い翼。 天使の証。 翼が拡がった背をタクトに向けて、ラムはタクトと魔物の間に滑り込む。魔物は振り上げていた腕をゆっくりと地に下ろし、ラムの前から遠ざかった。 「ラ、ラム……?」 呆然としたふうに呟くタクト。ラムは振り向いてタクトをみる。 (あぁ……生きている) 嬉しい。タクトが生きているということが。 言葉にできない喜び。ココロが満たされる。 「ラム……お前、本当に」 タクトの言葉の途中。 (くるッ!) ラムは同属の気配を感じ、空へと顔を上げる。きっと、この場所に魔物を送り込んだ者が、ラムが〈力〉を使ったことを感知し、なにごとかと様子をみにきたのだろう。 天使が人間を助けるなど、許されないことだ。少なくとも、ラムにその権限はない。もしラムがタクトを助けたことを知られれば、タクトは確実に殺されてしまう。 ラムは、急いでタクトを安全な場所へと〈転送〉することにした。 できれば遠い場所がいい。そうだ。ラムが初めて〈この世界〉に降り立った、大きな湖のほとりがいいだろう。 「生きて、タクト」 薄れゆくタクトの身体。タクトはラムへと手を伸ばす。しかしその手はラムをすり抜け、重なることはなかった。 「ラ、ラム……!」 「ありがとうタクト。タクトに会えて、よかった」 その言葉が終わらないうちに、タクトの姿はラムの目の前から消えていた。 タクトが消えるとほぼ同時に、ラムの斜め上にひとりの天使が現れた。 「義務によって問う。所属と階級を述べよ」 天使が、無機質な声でいう。 「はい。第六世界監視補佐官、五級天使Λ−17439です」 五級天使と聞いたからだろうか、天使は尊大な態度で肯く。 しかし、 「ですが今は、ラム……と名乗っています」 ラムは、いった。 「なん……だと」 たかだか五級天使が「名」を名乗ったことに、不審を露わにする天使。しかし彼は、今一度自分の「名」を口にした。 「ボクの名は、ラムです」 その声が吸い込まれる空は、青く、どこまでも拡がっていた。 〜 タクト 〜 夜の森。少し開けた場所で、焚き火の炎がはぜてパチパチと乾いた音を響かせている。その焚き火を眺めるタクト・アーカンデルタの膝をまくらにし、聖女マリアが眠りの園の住人となっていた。 と、タクトは自らの傍らに立つなに者かの気配を感じ、ピク……小さく肩を跳ねさせる。剣士としての彼は一流だ。それこそ、〈聖剣〉に選ばれるほどに。 その彼にも悟られず、こうも近づける者。 「あんたはいつも、突然に出たり消えたりだな」 そこに立っていたのは、 「女は、謎が多い方が魅力的なのよ?」 肩にかかるほどの黒髪を持つ少女。〈紅い瞳〉の守護者、アサコ・ミツルギだった。 自称では、〈異世界〉からきた〈ジョシコーセー〉なる存在だということだが、その〈ジョシコーセー〉がなにを意味しているのか、タクトにはわからない。なので彼は、〈ジョシコーセー〉というのは、〈異世界〉での〈魔法師〉のようなものなのだろうと考えている。 「マリアちゃん、お疲れのようね」 「今日も、魔物と戦闘があったからな」 アサコはそのことには触れず、 「リアムはいないの?」 タクトに問う。 「なんだ、リアムと逢い引きか?」 「違うわよ。彼がマリアの側にいないなんて、珍しいじゃない」 納得するタクト。リアム・バラクセンは、仲間内で一番マリアのことを気にかけている……ようにみえる。実際のところ、リアムは心情を表に出すことが少ない男なので、心情と行動が一致しているかどうかは、タクトにはわからないのだが。 「アイツは、ギダンにいっている。あんたの姉さんが、また問題を起こしてくれたんでな。その後始末だ」 「あら、そう? 今度はなにをしちゃったのかしら? 困ったものねぇ、マユちゃんにも」 しかしアサコは、言葉を裏切るように陽気な顔だ。 「本当だ。妹なら、姉の管理をしっかりしといてくれよ」 「でも、じゃあ彼、愛しのマリアちゃんと離ればなれで、今ごろ泣いてるんじゃない?」 笑い混じりでいうアサコ。 「アイツのは、そういうんじゃないと思うけどな」 「わかってるわ。冗談よ。彼、生真面目だから、責任感じてるのよ」 責任。マリアを、「この戦い」に巻き込んでしまった責任だ。それは多かれ少なかれ、「七剣に選ばれた者」なら誰でも感じていることだ。 〈聖剣ルシキ〉。七振りの〈聖剣〉の中で、一番の〈力〉を持つ剣だ。タクトは、その〈ルシキ〉に選ばれた「聖剣士」である。 「オレだって感じてるさ」 そっと、腰に吊るした〈聖剣〉に触れるタクト。 冷たい。 彼は思う。 この剣は、いつだって凍えている。やがて訪れる、この世界の未来を暗示しているかのように……。 焚き火がはぜる音。小さく聞こえる、虫の鳴き声。 やがて、 「あんた、ホントはわかってんだろ? この戦、オレたちに勝ち目はないって」 タクトがもらした。 「……わかってるわ。それにたぶん、この戦いで一番辛い想いをするのは、リアムだってことも」 「だからあんたは、リアムを気にかけるのか」 「う〜ん……どうだろ? これはまだよくわかんないんだけど、彼にはなにかを感じるのよ」 「乙女心が?」 マリアが、小さくなにか寝言を呟いた。しかしそれは、意味のある音となっては響かなかった。アサコはマリアをみて、くすり……と苦笑をもらし、 「違うわ。罪悪感が……よ」 今度はタクトをみて、いった。 「いつか私は、彼にとても非道いことをしてしまう。そんな予感がするの」 「……そうか。あんたの勘は、よく当たるからな」 勘というよりは、予知だ。アサコが口にした未来は、外れたことがない。それを勘のひとことで片付けてしまうタクトを、アサコは「こわい」と感じた。 「そうでもないわよ。あなたにはわかっているようだけど、私はね、この世界の未来をある程度知っているわ。未来は、大きく変えることはできない。でも、小さくなら変えることができる。だから私は、マリアをこの戦いに巻き込んだのよ。小さくてもいい。私が知っている、この世界の未来を変えるために。私は勘がいいわけじゃないのよ。知っている。ただ……それだけよ」 「今日は、ずいぶんおしゃべりだな」 「あなたにウソは通用しない。違う?」 「通用しないウソとするウソがあるさ」 数十秒におよぶ沈黙。そして、 「私は、罪深い人間よ。これまでも、そしてこれからも……。このさき私は、多くの人を裏切るわ。自分の望みのために」 淡々とした口調で、だがハッキリとアサコはいった。 「リアムも、私の望みにとってジョマな存在になるかもしれない。そうなったとき私は、彼を排除するわよ。殺してでもね」 「別にそれは、あんたの自由さ。そしてリアムもな」 自由。無責任な言葉だとタクトは思う。だが、尊い「考え」だ。 「厳しいわね」 「オレだってそうする。あんたがオレの、それにマリアの敵となるなら、オレはあんたとだって戦う。ま、あんたに勝てるとは思わねぇけどな。やれるだけのことは、やる」 命をムダにするつもりはない。しかし、ただ生き延びるだけのつもりもない。 アイツに、ラムに救ってもらった命だ。大切に使わせてもらう。 タクトは思っている。自分は、一度死んだ人間だと。 あのときのことを、そしてラムのことを誰かに話したことはない。なぜか、誰にも話す気になれない。マリアにもだ。 (ラム……この世界は、キレイだな) タクトは心の中で告げ、そっと、マリアの頭をなでた。マリアは「ぅん……」と小さな息をこぼし、「だいじょうぶだよ」……と、寝言をいって、その顔に微笑みを浮かばせた。 終局は近い。 〈死〉と〈滅〉を司る女神は、すでにこの大地へと降り立っている。 〜 いつかみた青い空 〜 あれから、どれほどの時間が流れたのだろう。 この〈天界〉と、〈下界〉との時間が流れる速度は同一ではない。彼の感覚だと、すでに〈下界〉では、「あのとき」から数年の時が経過しているはずだ。 白い箱のような部屋。手足を〈拘束具〉で束縛された彼。 その白い箱のような部屋に、 『Λ−17439。裁判を下す。よって速やかに法廷に赴くこと。以上』 無機質な声が響いた。それと同時に、彼を縛っていた〈拘束具〉が外れる。久しぶりに自由となった手足を、彼……ラムは、やけに軽く感じた。 正面の壁が割れ、〈門〉が開く。彼は立ち上がって脚を進めた。〈門〉の外は、長く続く廊下。閉じこめられていた部屋同様、四方は白一色だった。 足音が響くこともなく、無音で前に進む。 と、ラムの歩みを妨げる者があった。それは見知っている顔だった。いや、見知っているだけのことではない。その顔は、表情こそ違え自分と同じものだし、その天使は、自分と同じ〈卵〉から生まれた「兄弟」なのだから。 「こんなところでどうしたんだい? Λ−46721」 ラムの呼びかけに、 「カーナ」 その天使は短く返した。 「……?」 不思議そうな顔をするラム。 「49番目の〈右の翼〉を拝命した」 天使……カーナが告げる。 「そうか、名前を授かったんだね。おめでとう」 しかしカーナは、ラムに冷たい視線を突き刺し、 「……愚かな」 とだけ。しかしその意味を、ラムは理解して答えた。 「そうかもしれないね。でも、ボクは後悔してないよ」 「お前が罪を犯してまで守ろうとした世界は、滅んだ」 「……」 「定められていた通りにな」 タクトは、〈あの世界〉を「守れ」なかったのか。 仕方がない……とは、ラムは思わなかった。だがタクトのことだから、精一杯抵抗したことだろう。彼の魂を、彼の存在の全てをかけて。 ラムはカーナに視線を向け、 「教えてくれて、ありがとう」 笑った。 もしその笑みをラム自身がみることができたのなら、「タクトみたいな笑顔だ」と思っただろうか。 そして……。 「さよなら」 カーナにいい残すとラムは、胸をはって法廷への道を進んだ。 (ボクが犯した罪は、きっとボクの消滅でしか贖えない。でも……あれでよかったんだ。ボクはタクトと出会えて、本当によかった) 彼は憶えている。 ほら、こんなにも鮮明に。 この無機質な白の世界でも、瞼を閉じればそこには、どこまでも続くかのような、目に痛いほどの青空が拡がっている。 |