死神見習い −光−

 

 

     0

 

 理解不能な命令だ。

 だが彼は〈右の翼〉。与えられた任務を遂行するために存在している。

「畏まりました」

 彼は主に頭を垂れ、腰に吊した剣を抜き、刀身の先端を自らの喉元に当てる。それは服従と忠誠を示す動作として、彼らの世界では一般的なものだった。

(どのような命令であろうとも、必ず遂行してみせる)

 彼は誓う。目の前の主に、そして、自分自身に。

 しかしこの誓いが、彼の「所属」する〈天界(エデン)〉を滅ぼす切っ掛けになろうとは、今このとき、彼の主にすら理解できていなかった。

 そう……〈存在(デーナ)〉という集合の中で、たった一つの〈要素(カルス)〉を除いては……。

 

     1

 

「もうっ! 師匠ったら、わがままなんですからぁ」

 暴れる子猫を片手で掴み上げ、セーラー服姿の長い黒髪の少女がクスクスと笑う。楽しげにもみえる少女とは異なり、掴まれた子猫はその手から逃れようと必死の様子だ。

「いくら猫でも、お風呂くらい入ってください。くさくなっちゃいますよ?」

 と、少女は微笑みながら、つまんでいた子猫を、たっぷりと湯がはられた浴槽に放りこんだ。

「ニャアァっ! ふにゃッ……ブッ、ブクブクブク……にゃっ、ふにゃやゃッ!」

 浴室に響く子猫の絶叫。

 そして……子猫は数十秒ほど溺れた後、ブクブクと気泡をつくりながら、湯船の底へと沈んでいった……。

 

「にゃっ! ふニャニャにゃにゃっ。にゃああぁあぁッ!」

 湿った毛を逆立てて、怒ったような……というか怒っているとしか思えない声で鳴いているのは、先ほど湯船で溺れていた子猫。子猫の前では、子猫を溺れさせた少女が土下座している。

「す、すみませんでした師匠っ! ま、まさか、溺れるとは思って」

「ふにゃッ!」

 少女の言葉を遮るかのように発せられた鳴き声に、

「ご、ごめんなさいですぅっ!」

 少女が床に頭を擦りつける。

 この、子猫に必死で謝っている14、5歳ほどの少女の名は、フユミ。一見、少しぽ〜っとした感じの少女にしかみえないが、実は彼女、人間ではない。そして子猫の方も、ただの子猫ではない。

 彼女たちは、人間でも猫でもなく、彷徨う魂を天界へと導く者……死神である。

 とはいえフユミは、まだ見習いの段階だが。

 フユミが子猫を「師匠」と呼んでいる通り、彼女は師はこの子猫。……いや、ある事情から子猫の姿になってしまっている、死神だ。

 今は子猫の姿をしているが、この死神……ルオウは、〈爪牙のルオウ〉という異名をもつ一流の死神である。

 10分近くに及んだお説教の後、フユミはガックリと項垂れたまま夕食の準備にとりかかった。

(また、師匠におこられちゃった……)

 反省するのはよいことだ。それが、以後に繋がるのなら……だが。

 フユミは、最近ルオウが好んで食するようなになったアジの開きをグリルで灼きながら、以後に繋がるのかどうかはわからない反省を続けた。

 しかし、アジの開きが灼けきらないうちに、

「ッ!」

 彼女はバッと顔を上げ、辺りをキョロキョロと見回す。

「どうした? フユミ」

 弟子の奇行に対し、怪訝に声をかけるルオウ。この声はフユミには言葉として届いているが、普通の人間には「にゃう? ふにゃ」……としか聞こえないだろう。

「あ……いえ、なにか感じませんか? 師匠」

 取り立ててなにも感じない。猫の姿にされてしまってから、ルオウの死神としての〈力〉は弱まっている。それも、徐々にだが弱まり続けていることも、彼自身悟っていた。

 どこか困っているようにもみえる顔で、室内を見回すフユミ。と、

「あっ!」

 突然、驚いたような声を上げた。

 フユミはグリルの火を消し、ガスの元栓までもをしっかり確認してから、

「いきましょう、師匠っ!」

 いって、ルオウを抱きかかえる。

 そして、次の瞬間。

(く、空間転移ッ!)

 ルオウの視界が歪んでいた。

 〈空間転移〉といえば、高レベルの術だ。フユミになら扱える〈能力〉だとは思うが、それでも、ルオウが〈方法〉を教えたわけではない。

(無意識に、やってのけたのか……)

 恐ろしいほどの〈力〉だ。

 時間にして数秒。〈空間転移〉が終わると、フユミに抱かれたルオウの身体は、どこか、森のような場所に移動していた。

 

     2

 

 森の中にできた隙間だろうか。四方を木々に囲まれた「隙間」だ。

 真上から降り注ぐ満月の白い光に照らされて、白髪の青年が手にした長剣を振っている。その青年の周りを、無数の霊たちが取り囲んでいた。

 そのうえ、霊たちが攻撃状態にあるのは明らかで、青年も霊たちの攻撃に攻撃をもって応じている。

 圧倒的多数の霊たち。だが、青年は数をものともせずに霊を斬り裂いていく。

 と、青年の正面。突如として空間に歪みが生じ、その歪みの中から、子猫を抱いたセーラー服姿の少女が現れた。

 しかし青年は表情を変えることもなく、右上が襲いかかってきた霊を斬り伏せる。

「な、なにをしてるんですかッ!?」

 少女が叫んだ。

 

 みず知らずの青年だ。だが、纏っている雰囲気から人間でないのは明だった。自分と同じ天人だろうか。そういう感じがする。

「な、なにをしてるんですかッ!?」

 フユミは霊を斬り伏せている青年に、怒りの声をぶつけた。しかし青年はフユミの言葉を無視し、手にした剣を一閃する。

 フユミの耳……というよりは精神に悲鳴をぶつけるのを最後に、一つの病んだ魂が消滅した。そして霊の消滅と同時に、

(ぅくッ……!)

 フユミのココロを痛みが襲った。

 再び、そして三度。青年の剣が虚空に線を描き、弧を描くたびに、魂の消滅と直結した悲鳴が、フユミのココロを傷つけていく。

(や……めて……)

 苦しい。肉を削がれ、骨を砕かれるかのような苦しみ。次々と消されていくイノチたちの嘆きと哀しみが、少女の姿をした死神を痛めつける。

「いやぁ……や、めて……やめてええぇえぇッ!」

 フユミの悲鳴に、チラリと視線をフユミに向ける青年。だがそれは一瞬ともいえない刹那のことで、青年は視線を自分に襲いくる霊たちに戻すと、剣を一閃して一度に二体の霊を切り伏せた。

「これらの魂は汚されている。救う術は、他にない」

 青年が声を発する。感情がないかのような、凍えた声だ。そしてその表情も、声と同じく凍えたものだった。

「救いようのない魂は消し去る。それが、〈右の翼〉としてオレが成すべき使命」

 〈右の翼〉……と、青年はいった。〈右の翼〉はいえば、高レベルの天使にしか与えられない、十三柱存在する世界神直属の精鋭のことだ。

 ということは……。

「あ、あなた、天使ですね!」

 やはりこの青年は、フユミやルオウと同じ天人だ。ルオウの背に黒い翼があるように、青年の背には白い翼があるのだろう。今は「折り畳まれて」いるのか、目にすることはできないが……。

 この天使がどの世界神に仕える〈右の翼〉かはわからないが、死神と天使は相反する存在だ。露骨に敵対しているといっていいだろう。そしてフユミにも、天使とは〈下界〉の魂を蔑ろにする忌むべき存在だ……という認識はあった。

「お前は、黒き翼の者か」

 天使がフユミをみていう。

「オレの名はカーナ。第十一世界神に仕える、〈右の翼〉だ」

 フユミに向けての言葉だったが、その言葉に反応を示したのはルオウ。

「十一世界神だと!? なぜ十一世界神が、この〈第七世界(アース)〉に干渉するッ」

「ほう……かわった姿をしているな、死神」

 僅かにバカにしたような色が、その口調には混じっていた。

 天使にバカにされようが、ルオウにはどうでもいいことだったが、

「あなたッ! 今、師匠をバカにしませんでしたかッ!?」

 フユミがカーナにくってかかる。

「確かに師匠はかわいい子猫ちゃんですけど、本当は、すっごくすごい死神なんですからねッ! 謝ってくださいッ」

「フユミ、少し黙っていろ」

「だ、だって師匠ッ!」

 納得できない様子のフユミを、

「いいからッ!」

 ルオウが黙らせる。

「……は、はい」

「天使カーナといったな。第十一世界神の〈右の翼〉だとも」

「それが? 死神」

 剣を一閃。二体の霊が消滅した。その顔に怒りを露わにするフユミだが、ルオウのいいつけもあって黙っている。

「ここは〈第七世界〉だ。〈第十一世界(ドリア)〉ではないぞ。キサマが干渉していい世界ではないはずだ」

 カーナは答えず、再び、まとわりついてきた霊を一閃して斬り伏せた。

 次々と切り伏せられ、末期の悲鳴を上げて消滅していく病んだ魂たち。

「邪魔するのなら、キサマらごと消し去るのみ」

 カーナは一度瞼を塞ぎ、その内に視線を閉じこめる。と、一瞬後には塞いだを瞼を静かに開き、

 

「与えられし言葉よ。〈光神アラン〉の吐息によって、我が剣に下れ」

 

 坦々とした口調で『導く言葉』を紡いだ。

 『導く言葉』はカーナの手にする剣に〈力〉を宿し、刀身が白く輝きを放つ。まるで、自らこそが正義だと主張するかのような、汚れなき光を。

 闇を裂く光輝が、フユミの怒りに満ちた顔を照らす。

 

「来るべき大地よ! 〈紅い瞳〉の担い手たる我に、定められた力をッ」

 

 ルオウが止める間もなく、フユミも『導く言葉』を紡ぎ、自らの〈力〉を呼んだ。それによって、フユミの姿が闇色のローブ纏った死神のものへと変化し、黒かった瞳が紅く変色して輝く。

 虚空へと腕を伸ばすフユミ。すると彼女の手の中に、大きな鎌が現れた。

 カーナが軽く唇をつり上げ、冷笑を表す。そして、無言でフユミへと剣を振り下ろした。

 

 カンッ!

 

 白光を放つ剣と、暗き紫を纏う鎌が、激しくぶつかり合い火花を散らす。それは幻想的に美しく、同時にどこかもの哀しい光景だった。

 凍えた炎のような死神の瞳は、涙なく泣いているかのようにみえ、燃える氷河のような天使の瞳は、その視線で涙なく泣くモノを貫くかのごとく苛烈を極める。

「消え失せろ。愚者よ」

 凍えた炎。

「あなたこそッ!」

 燃える氷。

 重さがないかのように大鎌を操り、カーナの頭上へと振り下ろすフユミ。カーナはその攻撃を軽くかわし、かわしざまに剣を水平にフユミの顔面へと振るう。刹那にして自分へと迫る刀身。フユミは鎌を回転させ、顔と刀身の間に柄を滑り込ませた。

 

 カンッ!

 

 乾いた音を響かせて、刀身に弾かれる柄。その反動を利用し、今度はフユミがカーナの首元へと鎌を振り上げる。すでに二人の戦いは、猫の姿となったルオウに入り込む余地はない。彼にはなす術がなく、ただ戦況を見守っているだけ。

 と、そのとき!

 それは、突如として現れた。

 

     3

 

『ッ!』

 下方から鎌を振り上げたフユミと、その鎌の軌跡を避けたカーナが、ほぼ同時に視線を同じ方向へと向ける。

 その視線が向けられた先にいたのは、少女。年の頃は12、3歳といったところだろう。滑った、血液(と思われる液体)が、少女の右半身を禍々しく彩っている。

 その面にはカーナと同じく感情の色はなく、それに加え「意志」までもが欠落しているようにみえた。

 と、少女が、ゆっくりと右腕を振る。カーナによって数を減らされていたとはいえ、霊たちがその動作の直後、「一人」残らず消え去った。

 

 ズキンッ!

 

 フユミの後頭部辺りに、激痛が走る。消えた霊たち。いや、違う。霊たちは少女に「取り込まれた」のだ!

(な、なんなの!? この子ッ)

 驚愕するしかない。人間の少女の姿をしたそれは、明らかに強大な〈力〉を有している。しかしカーナのように、自分と同じ天人の気配はない。間違いなくこの少女は、人間だ。

(どうすればいいの!?)

 今はカーナと戦闘状態にある。だがフユミには、カーナよりも突如として現れた少女の方が、「危険」な存在に思えた。

 指示を仰ごうと、ルオウに視線を送ろうとする。

 が、できなかった。

 フユミの「どこか」が、刹那でも少女から視線をそらすことは危険なことだ……と、激しく警告を送ってくるからだ。

 カーナか、少女か。

 フユミが迷っている間に、カーナがフユミから遠のいて少女の正面へと移動し、剣を振るった。カーナも、少女の「危険性」を感じ取ったのだろう。

 が少女は、頭上に振り下ろされたカーナの剣を、血で染まった腕で軽く振り払うような仕草でだけ対抗する。

 しかし、たったそれだけの動作で、カーナの腕の中で白輝する剣は、音もなく粉々に砕け散ってしまった。

「な、なにッ!?」

 これまで仮面のように変化がなかったカーナの面に、明らかな驚愕の色が拡がった。

 驚いたのはカーナだけではない、フユミもルオウも、突如として出現した少女の〈力〉に対し、驚愕の色を隠せない。

「……逢いたい、でも……逢えない。もう、わたしは……」

 哀しげな口調で、少女がなにごとかを呟く。ふと、フユミに向けられる少女の視線。儚げでありながら哀しい「痛み」が、視線にのってフユミへと突き刺さってきた。

『愛しています。トウヤお兄さま。愛していますあいしていますアイシテ……』

 狂おしいほどの想い。だが、けして報われることのない願い。フユミは感じた。この想いは、哀しい想いだ………と。

 そして、前後して理解した。

(この子、『鬼』に憑かれているっ!)

 『鬼(オニ)』。

 強い想いを持つ(持ってしまった?)魂に寄生し、その想いを好んで喰らう闇のモノである。その〈力〉は死神や天使といった天人を凌ぐものが多く、これまでも、数多の天人が『鬼』によって消滅させられている。

 考えてみれば当たり前だ。これほどの〈力〉を持った人間など、いるわけがない。いたとすれば、それは人間の形をした別の「なにか」だ。

 フユミが、『鬼』と対するのはこれが二度目。だが、最初の『鬼』は死者の魂に寄生していたが、この『鬼』は生者の魂に寄生している。

 そして今回の『鬼』は、最初のそれよりも数段強い。ユフミには、この『鬼』が持つ強大な〈力〉が、恐ろしいほどに伝わってきていた。

(な、なに? これ、なにっ!?)

 これほどの〈力〉は知らない。これほど邪悪な〈力〉は、感じたことがない。

 先ほどまで対峙していた、天使カーナ。強いと思っていた。師であるルオウほどではないが、「この天使は、強い」……と。

 だが、カーナなどとは比べモノにならないほど強い〈力〉を、この『鬼』は今、隠そうともしないで放っている。

(強い……きっと、師匠よりも……強いっ!)

 彼女の師、ルオウは、今はわけあって子猫でしかないが、本来なら死神の中でも一、二を争う実力の持ち主だ。しかしこの『鬼』の強さは、レベルが違っている。

『けして結ばれることがないのなら、お兄さまを殺して、わたしも……』

 流れ込んでくる少女の想い。

『トウヤお兄さま。好き。兄妹。結ばれない。愛してます。抱いて……ください』

 実の兄へと抱いてしまった恋心。だがそれは許されることなく、やがて……捨てることなどできない想いに、少女のココロは壊されていった。

 そして、壊れ、暴走した想いに、『鬼』が寄生した。

 少女が望んでいたのは、愛する人に愛されたいという、ただ、ごく普通の願い。

 フユミは少女のココロを、願いをみた。

 凛々しい顔をした青年に寄り添い、幸せそうに微笑む少女。青年は少女の微笑みに答えるかのように、彼女に優しい笑みを向ける。

『春日(はるひ)……』

『はい……冬夜(とうや)お兄さま』

 互いの名を呼び合うだけのやりとり。だがそれは、少女の……『夢』。

 なぜ許されない。ただ、血が繋がっているというだけのことで、なぜこの『夢』をみることすら諦めなければならない。捨てなければならない。

 悔しい。難い。なぜ、なぜ、なぜッ!

「愛しています」

 なぜ、その一言を告げることが許されていない!?

 狂おしいほどの、実兄への思慕。

 夕日の赤が、雪を自分の色で染めている。小さな白い花が、何者かに踏みにじられている。厳しい目つきをした青年。しかし、どこか哀しそうにもみえる。

 やがて、いつくかの意味不明なビジョンがフユミのココロを通り過ぎ、少女の意識は闇色へと染まってしまった。

 少女の意識が、完全になくなる。

 そして……。

「ミツケタゾ……奪ワレシ、我ガチカラ珠」

 少女の声ではない。『鬼』が表面化して告げたのだ。不意にその腕が、カーナへと伸ばされる。カーナは固まったように動かない。いや、動けないのか。

「返セ……返セッ!」

 そこに割って入ったのは、フユミ。彼女は『鬼』とカーナの間に身体を滑り込ませ、大鎌を『鬼』へと向けた。その隙にカーナは後ろへと下がり、次いでガックリと片膝を折って蹲る。『鬼』に、〈力〉を吸い取られてしまったのかもしれない。

 でも……。

 なにかがおかしい。『鬼』と対峙しているのに、なぜが『自分』と戦っているかのように、フユミは感じていた。

 鎌を振るう。『鬼』は、まるで軌道をしっていたかのようにサラリと避け、

「ナゼ、我ヲ妨ゲナサルカ。ウツワノ主ヨッ!」

 強い口調でいった。

(え!? な、なにをいってるの!?)

 『鬼』が口にした言葉。フユミにはその意味が理解できない。

 フユミが戸惑っている間。『鬼』はフユミを凝視し続ける。だがやがて、

「未ダ……トキニ非ズ」

 いい残して、表れたとき同様、忽然と姿を消してしまった。

 

     4

 

「追え! フユミッ」

 消えた『鬼』。ルオウがフユミに指示を跳ばす。

「お前は死神になりたいんじゃないのかッ! 『鬼』を逃すなッ」

「で、でも師匠ッ! あの子は生きていますッ」

 あの子。少女は生きている。『鬼』に憑かれているとはいえ、未だ生ある存在なのだ。追ってどうする。殺すのか、滅ぼすのか、『鬼』を。あの少女ごと。

 そんなことは、フユミにはできない。生ある者の「生」を奪うなど、フユミにはできない。

「そんなことはわかっているッ! だが、『鬼』に憑かれているのも事実だ、見逃すわけにはいかないッ」

「で、でも……」

 フユミは言葉を飲み込んだ。「追ったところで、あたしにあの『鬼』が倒せるとは思えません」……という言葉を。

 それは、死神として口に出してはいけないセリフだと思ったからだ。フユミは二重の意味で、あの『鬼』を倒せないと思った。生ある者を「殺す」ことなどできないという意味。そして、あの『鬼』に自分は及ばないという意味で。

 フユミは動かない。

 やがて完全に、『鬼』の気配は消えてしまった。これではもう、追うこともできない。

「クソッ!」

 悔しさを露わにするルオウ。フユミはゆっくりと振り返り、カーナへと視線を向ける。カーナは跪いたまま、地面に手をつき、フユミの視線に自分のそれをぶつけた。

「まだ……やりますか」

 フユミが問う。カーナはみるからに疲労していて、〈力〉も弱々しい。相当量の〈力〉を、あの『鬼』に奪われてしまったのだろう。

 この天使は、戦える状態じゃない。

 フユミにも、それは理解できた。

「助けられたとは思わない」

 苦渋の顔と声で、カーナが告げる。

「あたしも、あなたを助けたつもりはありません」

 カーナを睨みつけるフユミ。その視線は、明らかに敵に対しているものだ。

「……」

 無言のまま、カーナは一筋の光となって、空へと昇り消え去っていた。

 静寂が辺りを、そしてそこにいる二人の死神を支配する。

 自らの行動が、なにを守りなにを壊してしまったのか、フユミにはわからなかった。

 上級天使と敵対してしまった。『鬼』を見逃した。それらは、神々への反抗へと繋がっているのかもしれない。

 だが彼女は、傍若な天使が許せなかったし、一方的に狩られる魂の苦しみを救いたいと思い、それを行動に移さずにはいられなかった。

 それに、『鬼』に憑かれた少女を殺すことも、もし『鬼』に対抗できる〈力〉があったとしても、できなかっただろう。

「師匠……あたし、間違ってますか……」

 間違っていた……ではなく、間違っているか。過去を顧みる言葉ではなく、未来へと続いている現在を見据えた言葉で、フユミは師に問うた。

 だがその問いに返される答えはなく、天空に浮かぶ白い月は、いつの間にかその姿を厚い雲に隠され、無言で立ちつくす少女と子猫を、優しい光をもって照らし出すことはなかった。

 

 

     − 転幕・始まり −

 

 数年のトキが流れ、死神は『少女の姿をした鬼』と再度まみえる。

「今度は、見逃したりしません。今度こそ、あなたを滅ぼします。我が師、ルオウの名に誓って」

 死神の傍らには、かつてこの『鬼』とまみえたときには猫の姿していた師はなく、魂までも粉々に砕かれて消え去った師との、楽しくて、そして楽しかったからこそ辛い記憶が、そのココロに焼きついているだけだ。

 死神の言葉に、沈黙をもって答える『鬼』。

「あなたが、最後です。あなたが、最後の〈楔(くさび)〉です」

 『鬼』は沈黙を守る。

「あなたを滅ぼし、あたしは〈神〉になります。死と滅を司る、〈鬼神〉に。そして、あたしから師匠を奪った天使どもに、死と、滅びを与えてやるッ!」

 これで終わりだ。そして、これが始まりだ。

 死神は、『導く言葉』を紡いだ。

 

「〈死〉を招く右の翼よ! 〈滅〉を誘う左の翼よ! 黒紅の翼王が命ずる。我が名はフユミ! 我が行く手を塞ぐ全ての愚者に、〈死〉と〈滅〉を与えよッ」



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