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場末のバー。薄暗い店内に、客の姿は、一番の奥のテーブルにつく私のものしかない。カウンターの奥では、まだ二十歳前後にしかみえないバーテンダーが、つまらなさそうな顔でグラスを磨いている。
ギイィ……
カウベルなんて洒落たものはなく、客の来店を告げたのはドアが軋む音。この音を奏でた主は、私がこの店で唯一の客という特権階級にいるのが、お気に召さなかったのだろう。
二人目の客となった人物が、わざわざ、私がテリトリーとしたテーブルに腰を下ろす。
「お久しぶりです、紅野さん」
「……鏡一郎は、帰ってきたのかい?」
私の正面に座った二人目の客……名探偵柴崎琴香に訊いた。
「いいえ。まだ遊びたらないみたいです」
「アイツは、自分勝手だからな」
「それは、あなたも同じでしょ?」
バーテンダーが、名探偵の前に深い緑色をしたカクテルを置き、下がる。きっとこのカクテルの名は、「青汁」だろう。
バーテンダーがカウンターに戻り、再びグラスを磨き始める。もちろん、つまらなさそうにだ。
「最近この辺りで、頻繁に女の子が行方不明になっています」
目の前に置かれたカクテルに触れる素振りも見せず、名探偵はいった。名探偵、「青汁」を好まず……だ。
「知っている」
私は答えた。
「マーダーディスク」
「……」
「写っていたそうです」
「関係ない……と、いったら?」
「いいません。あなたは」
「いわないな」
「えぇ」
「だが、表立って動けない」
「〈ゲーム〉……ですね」
そうだ。私は今、〈ゲーム〉の第六ステージに立っている。
「キミは、止めたのか」
彼女も、〈ゲーム〉の参加者だ。
「最初から、参加した憶えはありません」
しかし私が知る限り、彼女は第一ステージをクリアしている。自分でどう思っていようと、間違いなく彼女も〈ゲーム〉に参加している。
「私は、続けるしかない」
「家族のためですか?」
「違う、自分のためさ」
「少し、調べさせていただきました。調べるのは得意ですので」
「……」
「港抄(みなと しょう)……いいえ、今は、紅野抄でしたね。彼は、四つ目の〈宝玉〉ですね」
別に、驚くことではない。彼女は〈探偵〉なのだから。〈探偵〉は、秘密を収拾すのが仕事だ。
「あれでも、かわいい一人息子でね。それに、恋人もできたらしい。抄は、幸せへと繋がった糸を握っている。守ってやるのが、親の勤めさ」
「養子でしょ?」
「それこそ関係ない」
「そう……ですか」
彼女は「青汁」に手を伸ばそうとして、少し躊躇った後、グラスに触れることなく手を引いた。
「私に、なにをさせたい」
「クソ野郎どもを捕まえて、ヤツらに見合った罰を受けさせたいんです」
「野郎……とは限らない。〈マスター〉も〈イレギュラー〉も、女だということだ」
「……えっ?」
知らなかったようだ。
「〈愚者〉が、そういっていたらしい。アラタから聞いた。〈マスター〉は小学生くらいの女の子、〈イレギュラー〉も、高校生ほどの女の子だそうだ」
「〈愚者〉……直接会ったことはありませんけど、力の片鱗は見せつけられたことがあります」
「〈マスター〉が始めた〈ゲーム〉。今、この段階で〈ゲーム〉をクリアできる可能性があるのは、〈愚者〉だけだ」
「それほどの人物ですか?」
「クソ野郎どもを捕らえたいのなら、私よりも〈愚者〉に助力を請うといい」
「コンタクトを取る方法がわかりません」
「調べればいい。キミは、〈探偵〉だ」
「〈剣士〉、絢目新……彼女に接触してみます」
接触……ね。私は苦笑した。
「どうかしましたか?」
「いや……キミも、〈探偵〉らしくなってきた。さすがに、鏡一郎が弟子に取るだけのことはある」
「嫌みですか?」
「感心したのさ」
彼女はテーブルに、昨年末から流通し始めたばかりの千円硬貨を置き、席を立つ。そして、
「一つだけ、聞かせてください」
「……どうぞ」
「師匠がどこにいるのか、ご存知ですか?」
師匠……鏡一郎のことだ。
「いや……知らない」
彼女は一度下唇を噛み、そして私に軽く頭を下げると、無言のまま店を出ていった。
私は、結局彼女が手をつけることのなかった「青汁」を眺め、
「相変わらず、女を泣かせるのだけは得意だな、鏡一郎」
心の中で、悪友にいってやった。
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