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ケータイからの着信音。
僕はダンスフロアの清掃作業の手をとめ、ケータイを手に取った。
『久しぶりね。有人(あると)』
僕が応対する前に、声は聞こえてきた。そのうえ日本語だ。僕が今いるのはNY(ニューヨーク)。どうやら、こっちの知り合いじゃないみたいだ。
というか、僕はこの声の主をしっている。
「なんの用ですか? 柴崎さん」
柴崎琴香。僕が昔、日本で探偵助手をやっていたころの同僚だ。といっても僕は探偵助手。彼女は探偵見習いだったけど。
『クラッシュベリーってしってる?』
クラッシュベリー……数ヶ月前、このNYの裏市場で出回った、殺人ディスクだ。
「……しってますけど。名前だけは」
嫌な気がする。僕にとって、この人はトラブルメーカーだ。
『確認してほしいことがあるの』
「僕はもう、久貫探偵事務所の人間じゃないんですけど」
『お金はだすわ』
ハァ……貧乏じゃなかったら、ここで「しったことじゃない」とでもいってやれるのにな。
「なにを確認すればいいんですか?」
ま、だいたいわかるけど。
『わかってるくせに』
えぇ、わかってますよ。
「クラッシュベリーに関係したことですね」
『あんた、どれだけしってるの?』
「クラッシュベリーっていう殺人ディスクが存在しているらしい……ってことくらいですよ」
『クラッシュベリーの中に、アジア系少女の映像があるらしいの。それもどうやら、行方不明になっている日本人の女の子に似ているって情報が入ってきたのよ』
で、その行方不明者を探しているのが、久貫探偵事務所……だと。僕だって探偵助手をしていたことがあるんだ。そのくらいは想像がつく。
「でも確証がない。だから僕に、顔を確認しろ……ってことですか」
『えぇ、その通り』
「柴崎さんでは、顔の確認ができない状態ってことですよね?」
『グチャグチャってことみたいだから』
「みてないんですか? 自分じゃ」
『みて楽しいものじゃないわ』
そりゃそうでしょうよ。僕だってそうだ。
『できるだけ早く確認が取りたいの』
「ボクは今、バイト中です」
『サボりなさい。仮病でも使って』
「それでクビになったら、保証してくれるんですか?」
『あんたのことだもの。あんたがなんとかしないさい。それとも、事務所に戻ってくる?』
「それだけはご遠慮させていただきます。久貫さんが戻ってきているのなら、話は別ですけど」
『……師匠は、まだどこかで遊んでるわ』
「でしょうね。あの人は、そういう人ですよ」
『そうね。あぁ、いい忘れてたけど。あんたに確認してもらいたい子の年齢だけど、九歳だから』
「……きゅう……さい?」
『そう。あんたが大好きな、小さな女の子』
「ど、どうしてそれを早くいわないんですかッ! クソッ! 九歳の子が行方不明になっていて、殺人ディスクに映っているかもしれないんですねッ」
『そういったでしょ?』
「いってないですよッ」
『いったわ。で、あんたと同じように小さな女の子が大好きなヤツが、あんたしかアクセスできない領域を造ってくれるはずなの。そこにアクセスして、確認を取ってほしいのよ。誰にもしられたくないの。ちょっと、ヤバイことになるかもしれないから』
「……この電話は、大丈夫なんですか」
『大丈夫よ。見崎雛子が繋げたものだから』
「雛子ちゃんが? そうですか。わかりました。手はずはお任せします」
『また、一時間後に連絡するわ。それまでに、アクセス環境を整えていてほしいの。できるわよね』
「やりますよ。ボクは久貫さんの助手だった人間ですよ。できます」
『うん、お願い』
そういって、電話は切られた。
アクセス環境といわれても、貧乏人のボクがパソコンを持っているわけもない。だけど、信頼ができて、パソコンも持っている人間はしっている。
ボクはバイトを早退し、そいつのアパートに向かった。
「ハーリー。アルトだ」
ハーリー・アントソン。元軍人で、今はゲイバーで働いている黒人。普段はゴツイ身体に似合わず心優しい男だけど、いい男の前ではなぜか凶暴になる。ボクはいい男じゃないから、ハーリーとは友人関係をつくれている。
「ハァイ、お腹でも空いたの? アルト」
彼がアパートのドアを開ける。どうやら彼は、ボクがお腹が空くと彼のアパートにくると思っているらしい。ま、それも仕方ないけど。なにせボクは、貧乏人だ。
ボクは開かれたドアを抜け、室内に入る。バタンとハーリーがドアを閉め、即座に鍵をかける。この街じゃ、少しの油断が死に繋がっているからだ。
「違うよ。パソコンを使わせてほしいんだ。日本にいたころの姉貴分の頼みでね、ちょっと調べたいことがあるんだよ」
「そう? そういえばあなた、調べものとか得意だもんね。探偵にでもなったらどう? その方が、清掃のバイトよりお金になるんじゃないの?」
そうかもしれない。でも、
「イエローの探偵に、依頼はこないよ」
ボクは、探偵になりたいわけじゃない。
「迷子の猫探しとかだったら、くるんじゃない?」
「猫は嫌いなんだ。ニャーニャー鳴くから」
ハーリーはなにが面白かったのか、腹を抱え、涙を流して笑った。
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