プロローグ
車に揺られること三時間。退屈な山林の風景が続いて眠くなってきたところで、目的地に到着した。
「どうぞ」
運転手によって後部座席のドアが開けられ、ボクは車を出る。
……寒い。
真冬の冷たい風のひとなでに、暖房のきいた車内で温められていたボクの身体は、一気に冷やされた。
身体を硬直させて、目の前に建つ西洋風の建物に視線を向ける。建築に詳しくないボクには何風だなんてわからないけど、大きな三階建ての建物だ。
『幼聖館(ようせいかん)』
と呼ばれているここでは、なんというか……幼いおんなの子たちと、エッチなことができるらしい。
「秘密クラブ」……みたいな場所、なんだろうか? ここにくるのは初めてだから、よくわからない。まあ、「秘密クラブ」なんてところにいったことはないんだけど。
これから五日間。ボクはここに滞在することになっている。なぜ五日間かというと、五日間単位でしか滞在を受けつけていないからだ。そして、一年の内でここに滞在できるのも、五日間だけ。再び訪れるには、一年の「冷却期間」を必要とするらしい。
で、その五日間の滞在費は、一億円。
高いか安いかは、人それぞれだと思う。少なくとも今のボクには、このくらいの値段なら一度体験してみてもいいかな? と思える金額ではある。
どうも今のボクは、金銭感覚がマヒしているように思う。貧乏暮らしが長かったもので、突然手にはいった大金をもて余しているんだろう。
ボクはつい三ヶ月前まで、貧乏人の見本のような人間だった。
大学四年生になってすぐ唯一の肉親だった祖父を亡くし、天涯孤独の身になった。それが今から三年半ほど前のこと。
バイトしながらなんとか大学を卒業し、日本にいてもすることがない……というかスーツを着てサラリーマンってのも性に合わなかったし、一度海外を旅してみたかったこともあって、単身でアメリカに渡ったんだ。
なぜアメリカだったかというと、英語が話せた……というのもあるけど、アメリカ行きの格安チケットが手にはいったからというのが、大きな理由。
アメリカで放浪したりバイトしたりしている内に、ボクは気まぐれで買った宝くじに当選した。それが、三ヶ月ほど前のことだ。
当選した宝くじ。
その額なんと、日本円に換算して約三十六億七千万円。
ボクは一躍、億万長者の仲間入りを果たした。場末のバーでの皿洗いが仕事だった、ボクがだ。
三十六億七千万円。
貧乏暮らしが長かったボクには、想像もつかないような金額だった。そして、賞金を手にいれると同時に、宝くじの副賞なのか、周りの人間のボクを見る目が変わった。
そしてボクは、信頼していた友人に命を狙われた。
「あなたが悪いんじゃないわッ! あなたが持っているそのお金が、わたしを狂わせたのよッ」
ボクの命を狙った友人。ゲイの黒人。NY(ニューヨーク)に流れついて、喰うにも困る状態だったボクに、とても親切にしてくれた。彼は恋人の借金を返済するために、ボクの命……いや、お金を狙ったらしい。
一言、いってくれればよかったのに。彼の頼みならボクは、それまでよりは多少楽に生活ができるお金を残してだけど、できる限りのことをしたと思う。彼がいなければ、ボクはNYの片隅で、飢え死にしていたかもしれないんだから……。
「消えてッ! お願いだからわたしの前から消えてッ。あなたが側にいれば、わたしはまた、あなたを殺そうとしてしまうわッ」
泣きながら、彼はいった。
「お金が必要なら、必要なだけいってほしい」
そう告げたボクに、
「今さらあなたになにをいえっていうのッ! わたしを惨めにしないでッ。わたしは、わたしを友人といってくれたあなたを殺そうとしたのよッ!?」
あれほどまでに悲痛な彼の表情を見たのは、そのときが初めてだった。そしてボクは、それ以上彼に告げるべき言葉を持っていなかった。
翌日、ボクは彼宛てに百万ドルの小切手を郵送して、日本への飛行機に乗った。彼がそのお金に手をつけるかどうかはわからない。多分、つけないだろう。彼はそういう人間だ。
ボクは彼に、余計なことをしたんだと思う。だけど彼への感謝の証として、ボクにはそうすることしかできなかった。
こうしてボクは、日本へと帰ってきた。約三十五億円という大金を持って。
☆
館の正面玄関。ボクが扉に手を伸ばす前に、それは内側から開かれた。
「おまちしておりました」
出迎えてくれたのは、ほどけば肩胛骨辺りまでの髪をサイドで三つ編みした、細いフレームで丸いレンズのメガネをかけたおんなの子。
身長は140センチくらいで、年齢は十歳くらいかな? 白と灰色を基調にした、いかにもメイド服……といった感じの服を着ている。
「どうぞ、こちらへ」
おんなの子の後ろについて、館の奥へと進んでいく。館の中はとても落ち着いた雰囲気で、ところどころに高価(だと思われる。よくわからないけど)な絵や壷などが飾られていた。
しばらくすると、おんなの子の脚が止まった。彼女の正面には扉。これ以上廊下は続いていない。この扉の向こうが、一番奥の部屋なのだろう。
おんなの子は扉を叩き、
「ゲストさまをお連れいたしました」
ゲスト様とは、おそらくボクのことだ。すると間もなく、正面の扉が開く。誰かが開いた様子はない。自動なのだろう。
「どうぞ、お入りくださいませ」
おんなの子が促す。ボクが部屋に入ると扉が閉まり、案内してくれたおんなの子とは扉を挟んで離ればなれになってしまった。ちょっと残念だ。
通された部屋は広いけれど、あまり物が置かれていない。閑散としているといってもいいほどだ。左右にソファーが並んだ大きなテーブルが部屋の中心にあって、そのテーブルの向こうに、やけに無表情な女性が立っていた。
「館主です」
と、女性はいい、ボクにソファーに座るよう手で示した。
館主と名乗った女性は、まだ若い。ボクと同年代だろう。なかなかの美人だと思うけど、ボクにはさっきのおんなの子の方が魅力的に思える。もちろん、そんなことを口に出したりはしないけど。
ボクがソファーに腰を下ろすと、テーブルを挟んでボクと対面に館主さんも腰を下ろした。
「ようこそ幼聖館へ。西穂河有人(にしほかわ あると)様ですね」
館主さんが、ボクの名を口にする。ボクはうなずいた。
「お聞きになられているとは存じますが、この幼聖館をご利用なされるに際して、いくつかの注意……いえ、決まりを守って頂かなければなりません」
それは聞いていた。詳しくは「現場で説明がある」……とのことだったけど。
うなずいたボクに、館主さんがその説明を始めた。
それをまとめると、こうなる。
1・ここでは、フルネームを名乗ってはいけない。
ここにいる間ボクは、「アルト」と呼ばれることになるし、自分でもそう名乗らなければならない。
2・おんな子たちと「遊ぶ」ためには、事前に必ず、おんなの子たちの了承を必要とする。
無理やりはダメってことだ。ま、当たり前だと思うけど。
3・おんなの子たちに、年齢を聞いてはいけない。
これは、どうしてだろ? 女性に年齢を訊ねるのは、失礼な行為だってことかな? でも、見た目でなんとなくわかるからいいや。
4・おんなの子から求められない限り、唇へのキスをしてはいけない。
館主さんがいうには、「女の唇は、お金で買えるものではないのです」……だそうだ。
5・おんなの子への暴力行為は厳禁。
これも当たり前だ。いわれるまでもない。
「ですが館児に対しては、暴力ではない無理は許されます」
「かんじ……?」
「えぇ、館の児童と書いて館児です。館児とは、この館に務めている子たちのことです。館児は先ほどアルト様をこの部屋にご案内させていただいた彼女と、同じ制服を着ております」
ふ〜ん……『館児』ね。
「この館には館児以外にも、複数のおんなの子たちがおります。館児とは服装が異なりますので、簡単に判別がつくかと思います。もちろん、館児であろうとそれ以外の子であろうと、アルト様がお遊びになられるのは自由です。ですが館児以外の子には、彼女たちが了承しない限り、無理なことはできません」
「無理……とは?」
「個人的な趣味趣向は、人それぞれ……ということです。おわかりになられますね?」
要するに、館児ちゃんたちにはSMでもスカトロでも(まぁ、ボクにそんな趣味はないけど)自由自在。でもその他の子には、「そういうこと」をするなら了承をもらえってことか。
「それからこの館には、アルト様以外にもゲスト様が逗留しておいでです。ですが、お顔を合わせられることは、ほとんどないかと思われます」
それはありがたい。ボクも、他の客なんかと顔を合わせたくない。
「もし他のゲスト様とトラブルを起こされた場合、即刻退館していただきます。滞在期間が残っていても、支払っていただいた滞在費はお返しできません」
ま、それは仕方ないな。他の客とトラブルを起こさなければいいんだ。ボクはここにおんなの子たちと「遊ぶ」ためにきたんだし、他の客とケンカしにきたわけじゃない。
「他になにか、お聞きになられたいことはございますか?」
特にない。今、この段階では……ということだけど。
ボクは首を横に振った。
「では……」
館主さんが立ち上がる。同時に、扉が自動で開いた。
「心ゆくまで、本館での時間をお楽しみくださいませ」
いって館主さんが、開いた扉を手で示す。ボクは立ち上がり、示された方へと脚を進めた。
世俗から切り離された山奥の館。
幼聖館。
これからの五日間、ボクはここでどんなおんな子たちと出会い、どんな時間を過ごすことになるんだろう……。
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