五日目
1
雪は昨日よりも激しくなり、窓の外は一面の銀世界だった。
今日は五日目。ここでの生活も今日で終わりだ。
あっという間だったようにも思えるし、長かったようにも思える。
といっても、今日の二十四時までに館を出ればいいのだから、まだ時間はあるんだけど。
今日の予定は、一応ある。遊んでもらった子たちに、お礼とお別れをいいに行こうと思っているんだ。
ボクは部屋をでて、遊んでもらった子たちを探すことにした。
2
アヤネちゃん、ミハちゃん、コリンちゃん、アユミちゃん、ユミカちゃん。それに、館児のカオリちゃんとユカコちゃん。
全員に会ってお礼とお別れがいえたときには、午後三時近くになっていた。
ボクが別れを告げても、思っていたよりみんなあっさりとしていた。もう少し別れをおしんでもらえると思っていたんだけど、思い上がりだったみたいだ。
でも一人だけ。
ユカコちゃん。
彼女には泣かれてしまった。
「ひっ、ひっく……ま、また、あえますか?」
そう問う彼女に、ボクは曖昧な笑みを向けることしかできなかった。
確実に、またここにこれる保障はないんだから……。
☆
まだ時間はあるけど、そろそろ館を出ようと思う。
心残りはある。
ミヤコちゃんだ。
探してみたけど、彼女の姿を見つけることはできなかった。
やっぱり会えないのかな?
そう考えたとき、ボクはキナミちゃんの姿をみつけた。
「キナミちゃん」
声をかけると、キナミちゃんは一度頭を下げ、
「はい。なにかご用でしょうか、アルトさま」
「どうしたの? そんなかしこまって」
いうと、キナミちゃんがボクの耳元に顔を近づけて、
「誰が見てるかわかんないから、ちゃんとした話しかたしなきゃいけないの」
囁いた。
ああ、そっか。キナミちゃんにしてみれば、ボクはお客さんだもんな。お客さんにゾンザイな態度を取ったなんて偉いひと(館主さんとか)にバレたら、叱られるかもしれないもんな。
ボクも小さな声で、「ごめんね、気がまわらなくて」と謝り、
「あのさ、ミヤコちゃんに会ってお礼とお別れをいいたいんだけど、やっぱりムリかな?」
ボクの言葉に、彼女はぽかんとした表情をする。
「お礼? お別れ?」
「うん」
「ミヤコに?」
「うん。それに、キナミちゃんにも。ありがとうね」
キナミちゃんの顔に、つくったような笑みが張りつく。なぜかボクには、それが、今にも泣き出しそうな顔に見えた。
数秒の沈黙の後。
「……ムリ、だと思うわ」
呟くようにキナミちゃん。
「どうしても?」
「うん。だって、ミヤコは」
ここで彼女は、しまった! という顔をして、言葉を止めた。
「なに? ミヤコちゃんが、どうかしたの?」
「なんでも、ないわ」
「そんなことない。なにかあったんだね、ミヤコちゃんに」
「ど、どうして? なにもないわよ」
「館主さんに聞けばわかる?」
「やめて!」
激しい口調で止められた。
ボクはキナミちゃんの目を見つめる。
彼女はひとつため息を吐き、
「本当は、いけないことなの」
「……」
「でも、アルトさまなら、もしかしたら……って」
よくわからないことをいいながら、キナミちゃんがボクの手を取る。
「きて、アルトさま」
ボクは彼女に手を引かれるまま、足を進めた。
☆
「どういうこと?」
ボクの声は、震えていたと思う。
「しょうがないじゃない。これでも、まだマシな方よ」
キナミちゃんの言葉を半分以上素通りさせながら、ボクはベッドに寝かされているおんなの子を見下ろす。おんなの子はかすかな寝息をたてていて、その腕には点滴が繋がっていた。
メガネはかけていないけど、ミヤコちゃんだ。
なんだか、久しぶりに会えたように感じる彼女は、見てわかるほどに衰弱していて、顔色も悪い。
「どういう、こと?」
ボクはもう一度、キナミちゃんへと問う。
「こういう……ことよ」
「病気なの?」
「違うわ。わかるでしょ?」
わかるといえば、わかる。
と、突然。部屋のドアが開けられた。
ボクが振り返ると、そこにいたのは館主さんだった。
館主さんがキナミちゃんに向け、腕を振る。キナミちゃんは一つ頭を下げ、部屋をでていった。
「いったはずですが。館児に対しては、多少の無理は許される……と」
部屋に足を踏みいれると同時に、館主さんはいった。
「なにが多少だ。多少で、こんなに衰弱するものか」
やっぱりミヤコちゃん、ゲストにムチャなことされて……。
「こんなこと許されると思っているのか!」
いいながら、ボクも同じだと思った。ボクもこの館にきた、客なんだと。
館主さんは、感情が読み取れない無機質な顔でボクを見る。
そして、いった。
「館児は、人間ではありません」
……ッ!
「彼女たちには、戸籍がないのです」
戸籍がない? だから、人間じゃない?
バカげている!
世の中に、戸籍がない人間がいることは、ボクだって知っている。かといって、それが人間ではないということにはならない。
「本気でいってるのか?」
ボクの怒りを含んだ視線を受け止める彼女は、無表情なままで口を開く。
「ですが」
言葉を続けようとする館主さんの声に、それは重なった。
「アルト……さま?」
ミヤコちゃんが目を覚ましていた。
「ミヤコちゃん!」
ボクは身体を起こそうとする彼女の肩に手を置き、寝ているようにいう。
「ですが、彼女たちを人間にする方法がないわけではありません」
ボクは館主さんに顔を向ける。そのまま黙っていると、彼女は続けた。
「館児をゲスト様に売却するのです」
「売る……?」
人身売買ということか。
「その場合、戸籍はこちらでご用意いたします」
こんな館を運営できるんだ、そのくらいのことはできるんだろう。
「その場合、館児一人につき……」
館主さんはここで言葉を区切り、まっすぐにボクの目を見て、
「あなたが所有する、全財産をいただきます」
……全財産? ボクの?
拍子抜けしてしまった。
「たった、それだけでいいのか?」
もっとフッかけられるのかと思った。百億とか、二百億とか……。
「買ってやる! でも、ボクが買うのはミヤコちゃんじゃない。ミヤコちゃんの選択肢を買う。ここからでるでないを決めるのはボクじゃない。ミヤコちゃん本人だ」
館児と館主さんはいっていたけど、ボクの中でそれはミヤコちゃんのことになっていた。ボクはミヤコちゃんを見る。ミヤコちゃんは、今どういった話をしていたかを理解したのだろう。驚いたように目を見開く。そして、ボクから視線をそらせた。
「ミヤコちゃん。ボクは、ミヤコちゃんにボクと一緒にきて欲しい。……いや、ちょっと違うかな。別に、ボクと一緒ということにこだわる必要はないよ。なんだか、一文無しになるみたいだし。だから、ミヤコちゃんがここをでたいかでたくないか、ミヤコちゃんに選んでほしい。それからのことは、後で考えればいいから。お金がなくても、案外、なんとかなるものだよ?」
ミヤコちゃんは答えない。
誰も、なにも口にしない。
時間だけが進む。
たぶん、進んでいる。
その証拠に、
「わたしは、ア、アルトさまと……」
ミヤコちゃんの唇が動いた。
「アルトさまと、いきたいです」
彼女はボクを見て、はっきりとそう告げた。
「だったら決まりだ」
ボクは館主さんに向き、
「ミヤコちゃんは、ボクと一緒にここをでる」
「後悔はなさいませんか?」
「それはボクに聞いてるの? それとも、ミヤコちゃんに?」
「あなたにです」
「ボクだったらしない。嬉しいくらいさ。ミヤコちゃんは、ここからでることを選んだ。そしてボクには、どうやらその手助けができる力があるようだ。なら、なにも迷うことはない。ボクは、ミヤコちゃんの力になりたい」
「その子の他にも、館児はたくさんおりますが? アルト様は、複数の館児ともお遊びいただいたと思いますが?」
「なぜミヤコちゃんなのか……っていいたいの?」
「はい」
なぜ彼女なのか。
ボクは答えた。
「ミヤコちゃんは、いい子だ」
「同情ですか?」
「そこまで自惚れてはいないよ。ボクは、ボクにできることしかできない。冷たいいいかたかもしれないけど、ボクには全ての館児ちゃんを……いや、この館をどうにかするなんてできない」
「でしたら、この館の存在を世間に知らしめでもしますか?」
「そんなことして、ただで済むとは思えないね。ボクには、守るべき人ができた。無茶なことはできないよ」
ボク、そしてミヤコちゃん。館主さんは視線を移動させ、
「なんだ……館主さんって、そんな顔もできるんだ」
その顔に、優しげな笑みを浮かべた。
もう一度プロローグ
あれから丸一日。いろいろと手続きがあるといわれ、ボクはミヤコちゃんと一緒の部屋に軟禁された。
その間にミヤコちゃんの体力はある程度回復し、歩けるくらいにはなった。
館の入り口……いや、出口か。
ボクたちの目の前にあるこの扉の向こうは、外だ。
「いこ? ミヤコちゃん」
「はい。アルト、さま」
「さま……は、止めてもらえるかな?」
「え?」
「これからは、ミヤコちゃんのすきなように呼んでくれればいい。でも、おんなの子にさまづけで呼ばれるなんて、いい気分はしないんだ」
彼女はボクを見つめ、唇を震わせる。
数秒の沈黙。
そして、
「アルト……さん?」
「なに? ミヤコちゃん」
彼女は微笑んで、本当に、胸がしめつけられるほどの笑顔で、ボクの手を握った。
扉をあける。冷えた空気がボクたちを包む。
「いこう」
ボクがいう。
「はい」
彼女が答える。
そしてボクたちは、しっかりと手をつないだまま、純白の雪をふみしめた。
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